油絵作品一覧
当社が長年手がけてきた油絵作品を、カテゴリー別にご紹介します。作品をクリックすると詳細をご覧いただけます。
名画50選50件
人物名画
No.1モナ・リザ
| 商品番号 | 1 |
|---|---|
| 作品名 | モナ・リザ |
| 原画情報 | サイズ:970×530(m/m) 製作:1503~1506年 所蔵:ルーブル美術館 |
| 作品紹介 | ルーブルの数多い名画の中でも不朽の名作であるこの作品は、1974年日本で公開され東京国立博物館の周囲に延々長蛇の列ができました。モデルはフィレンツェのジョコンダの妻モナ・リザ。レオナルドは4年がかりで取り組み、ついに未完成に終わりますが、完成品が極めて少ない彼の絵の中では最も緻密に仕上られた絵といえます。制作中は楽器を奏で、歌を唄わせ冗談を言って彼女の気持ちを引き立てたといいます。彼はこの作品を終息の地フランスへ持って行きます。 |
No.2最後の晩餐
| 商品番号 | 2 |
|---|---|
| 作品名 | 最後の晩餐 |
| 原画情報 | 壁画(m/m) 製作:1495~1497年 所蔵:サンタ・マリア・デ・レ・グラツィエ修道院 |
| 作品紹介 | 『最後の晩餐』(さいごのばんさん、伊: L'Ultima Cena)は、レオナルド・ダ・ヴィンチが、彼のパトロンであったルドヴィーコ・スフォルツァ公の要望で描いた絵画である。これはキリスト教の聖書に登場するイエス・キリストの最後の日に描かれている最後の晩餐の情景を描いている。ヨハネによる福音書13章21節より、12弟子の中の一人が私を裏切る、とキリストが予言した時の情景である。 絵はミラノにあるサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院の食堂の壁画として描かれたもので、420 x 910 cm の巨大なものである。レオナルドは1495年から制作に取りかかり、1498年に完成している。ほとんどの作品が未完とも言われるレオナルドの絵画の中で、数少ない完成した作品の一つであるが、最も損傷が激しい絵画としても知られている。また遅筆で有名なレオナルドが3年でこの絵を完成しているのは彼にしては速いペースで作業を行ったと言える。「レオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』があるサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会とドメニコ会修道院」は世界遺産に登録されている。 |
No.3白貂を抱く貴婦人
| 商品番号 | 3 |
|---|---|
| 作品名 | 白貂を抱く貴婦人 |
| 原画情報 | 1483~1490年 原画サイズ(53.4×39.3cm) 所蔵:ポーランド チャルトリスキ美術館 |
| 作品紹介 | 描かれている女性はミラノ公ルドヴィーコ・スフォルツァの愛妾だったチェチーリア・ガッレラーニであるといわれている。また、正確にいえばこの絵画に描かれているのは白貂(シロテン)ではなく、白い被毛を持つフェレットである。 ダ・ヴィンチが初めてチェチーリア・ガッレラーニに出会ったのは1484年だった。ミラノにあるルドヴィーコ・スフォルツァの居城スフォルツェスコ城に互いに滞在していたときのことで、当時まだ17歳の若く美しかったチェチーリアはルドヴィーコの愛妾で、楽器を演奏したり詩を書いたりする日々を送っていたのである。 |
No.4アダムの創造
| 商品番号 | 4 |
|---|---|
| 作品名 | アダムの創造 |
| 原画情報 | 壁画 (m/m) 製作:1508~1510年 所蔵:システィーナ礼拝堂 |
| 作品紹介 | この作品は、システィーナ礼拝堂天井画で最も有名な部位のひとつ「アダムの創造」。主題は旧約聖書の創世記で、このアダムの創造はその中の一場面を描いたもの。絵画が映画『ベン・ハー』の序章で使用されたことがあまりにも有名である。向かい合う指が、映画『E.T.』のイメージポスターにパロディとして転用された。 |
No.5システィーナの聖母
| 商品番号 | 5 |
|---|---|
| 作品名 | システィーナの聖母 |
| 原画情報 | 265 cm × 196 cm 1513年 – 1514年頃 所蔵 アルテ・マイスター絵画館(ドレスデン) |
| 作品紹介 | 『システィーナの聖母』(システィーナのせいぼ、伊: Madonna Sistina, 独: Sixtinische Madonna)あるいは『サン・シストの聖母』は、盛期ルネサンスの巨匠ラファエロ・サンティが、その晩年1513年から1514年頃に描いた絵画。祭壇画の一翼として描かれ、ラファエロが描いた最後の聖母マリアであり、ラファエロが自身だけで完成させた最後の絵画でもある。1754年にドイツのドレスデンに持ち込まれ、その後ドイツの美術界に大きな影響を与え続けた。第二次世界大戦後にモスクワへと持ち去られたが、10年後にドイツに返還されて、現在はアルテ・マイスター絵画館の最重要なコレクションの一つになっている。 『システィーナの聖母』のマリアの足下に描かれている翼を持った二人の天使は、この絵画自体の評価とは無関係に非常に有名なイメージになっている。印象的な天使の姿勢について、1912年のフラ・マガジン(Fra Magazine )が「ラファエロが『システィーナの聖母』を描いていたときに、マリアのモデルとなっていた女性の子供たちが見学に来た。子供たちが見学している様子に惹かれたラファエロはその子供たちの姿勢を忠実に絵画に再現した」という説を紹介している。 |
No.6春
| 商品番号 | 6 |
|---|---|
| 作品名 | 春 |
| 原画情報 | 203 cm × 314 cm 1482年頃 ウフィツィ美術館(フィレンツェ) |
| 作品紹介 | 〈ヴィーナスの誕生〉と共に、メディチ家のカステルロにある別荘に置かれていた大作で、キューピッドを連れたヴィーナスを中心に、左側には杖で霧を追い払うマーキュリーと三美神、右側には春の女神・プリマベーラと陰険な風の神から逃れようとする花の女神・フローラが描かれています。イタリアを代表する画家でありながら永年忘れられ、今世紀になって再評価された彼の代表作で、近年画面が洗浄されて、花々が鮮やかに復活し見事な色彩を見せています。 |
No.7ヴィーナスの誕生
| 商品番号 | 7 |
|---|---|
| 作品名 | ヴィーナスの誕生 |
| 原画情報 | サイズ:1720×2780(m/m) 製作:1485年 所蔵:ウフィッツィ美術館 |
| 作品紹介 | フィレンツェ生まれのルネサンスを代表する画家で、名門メディチ家の後援を得て、ダンテの『神曲』の挿絵版画やシスティーナ礼拝堂の壁画を描きました。地中海の海の泡から誕生したヴィーナスが妖精達に守られて、赤い衣を広げて待つ岸辺に迎えられるところです。フィレンツェの人々に惜しまれながら若くして死んだ「美しきシモネッタ」の追憶を描いたともいわれます。彼が憧れた古代ギリシャの異教の官能性とキリスト教のはざまに生まれたものです。 |
No.9宮廷の侍女たち
| 商品番号 | 9 |
|---|---|
| 作品名 | 宮廷の侍女たち |
| 原画情報 | サイズ:3180×2760(m/m) 製作:1656年 所蔵:プラド美術館 |
| 作品紹介 | スペインのセビーリアに、ポルトガル系貴族の子として生まれ、24歳で国王の宮廷画家になり、生涯を宮廷で送ります。ルーベンスとの親交やイタリア旅行を通じて、画面は明るく様式も変化し、スペイン肖像画の伝統を築きます。しかしベラスケスが世界で正当に評価されるのは19世紀の後半になってからで、マネは「画家の中の画家」と絶賛しました。中央に4歳のマルガリータ王女を置き、左端に大きなキャンバスを立てて国王と王妃を描いている彼自身が見られます。 |
No.10夜警
| 商品番号 | 10 |
|---|---|
| 作品名 | 夜警 |
| 原画情報 | 363 cm × 437 cm 1642年 アムステルダム国立美術館 |
| 作品紹介 | 夜警(やけい、オランダ語:De Nachtwacht)は、オランダの17世紀の画家レンブラント・ファン・レインによる絵画作品の通称。この作品は18世紀以降この通称で呼ばれているが、より適切な題名は『フランス・バニング・コック隊長とウィレム・ファン・ラウテンブルフ副隊長の市民隊』(De compagnie van kapitein Frans Banning Cocq en luitenant Willem van Ruytenburgh)となる。現在はアムステルダムの国立美術館に展示されており、レンブラントおよびオランダ黄金時代の絵画の代表作とされている。 |
No.11サン・ベルナール峠のナポレオン
| 商品番号 | 11 |
|---|---|
| 作品名 | サン・ベルナール峠のナポレオン |
| 原画情報 | 271 × 232 cm 1800年 美術史美術館所蔵 |
| 作品紹介 | 本作はイタリア獲得を目指したフランス軍が1800年にアルプスを越え同国北部へ進軍する際の≪ナポレオン・ボナパルト≫の姿を描いた作品で、ダヴィッドは生涯中、数多くのナポレオンの肖像画を手がけているが、本作はその中で最も有名な作品として広く知られている。画面中央へ配される愛馬マレンゴに跨るナポレオンは悪天候による強風で衣服が靡く中、右手を掲げ、兵士たちを鼓舞しながら、当時としては極めて非常識的であったアルプス越えの作戦を勇猛果敢に指揮している。その姿はフランスの英雄としての姿そのものであり、今日でも我々が抱くナポレオンのイメージとして第一に挙げられる。しかし、実際にサン・ベルナール峠越えをおこなった際は、ポール・ドラロッシュによって後年制作された『アルプスを越えるボナパルト』でも分かるよう、天候にも恵まれる中、防寒具に身を包み山道(悪路)に強いロバに乗ってアルプスを越えたことが明らかとなっており、本作には≪英雄≫としてのナポレオン像を示すというプロパガンダ(政治的な意図や宣伝目的)の側面が色濃く反映されている。さらに本作を制作する際、ダヴィッドはナポレオンにポーズを要求するものの「肖像は似ているかどうかが問題なのではなく、その人物の偉大さが伝わればよい」と拒否され、仕方なく代わりに息子(又は弟子)にポーズを取らせ制作されたとの逸話が残されている。新古典主義表現の第一人者として知られているダヴィッドではあるが、本作の躍動感に溢れた馬の描写やドラマチックな場面表現は新古典主義と対極に位置するロマン主義的な印象も強く、その意味においても本作のフランス絵画史における意義は特筆に値するものである。 |
No.12マラーの死
| 商品番号 | 12 |
|---|---|
| 作品名 | マラーの死 |
| 原画情報 | 157 × 136 cm 1793年 ベルギー王立美術館 |
| 作品紹介 | シャルロット・コルデーに暗殺された、革命の指導者マラー。 マラーは、医師であった。それも、王の弟、アルトワ伯爵の親衛隊付きの医師であった。 しかし、その自由主義的な思想のために解雇された。フランス革命勃発とともに、ジャーナリストに転身した。 革命政府の中心、ジャコバン党はロベスピエールとともに、恐怖政治へと向かっていった。反対派を次々とギロチンへ送ったのである。 革命政府は、ブルジョワジー側に立つジロンド派と、下層民衆の側に立つ、ロベスピエールのジャコバン党とに分かれる。ロベスピエールは結局は、恐怖政治に陥ってしまった。 マラーを暗殺した、シャルロットは、当時25歳。ジロンド派のシンパであった。 彼女はジロンド派の人々の名前を教えると言って、マラーに近づき、入浴中のマラーを、ナイフで刺した。 マラーは皮膚病で、硫黄水の風呂に入って、仕事をするのが習慣であった。 マラーが手に持っているのは、面会を求めるシャルロットの手紙である。 マラーは実際、それほど整った顔立ちではなかったし、体格もダヴィッドの絵のように、立派ではなかった。 革命の殉教者としての英雄性を高めるため、さりげなく、工夫をしている。 ミケランジェロのピエタ同様、半身裸体で、片腕を垂らした姿である。 ダヴィッドの描いた「マラー」に永遠性があるのは、ミケランジェロのピエタと重なり合う、厳粛な永遠性を、みごとに表現しているからに他ならない。 |
No.13読書する娘
| 商品番号 | 13 |
|---|---|
| 作品名 | 読書する娘 |
| 原画情報 | 82×65cm 1770-1772年 ワシントン・ナショナル・ギャラリー・オブ・アート |
| 作品紹介 | 本作は、おそらく室内であろうと推測される場所で静かに本を読む若い女を真横から捉え描いた作品である。本作のモデルに関しては一般的に不明とされるものの、一部の研究者からはフラゴナールの妻の妹で画家の弟子(そして愛人)でもあったマルグリット・ジェラールとする説も唱えられている。本作の様に書物や手紙を読む女性の姿を画題とした作品は、17世紀オランダ絵画黄金期を代表する画家フェルメールの有名な作品『窓辺で手紙を読む女』や『青衣の女』など当時は既に比較的ポピュラーな画題であったものの、しばしば印象派的と喩えられる本作の技巧的表現や画題への斬新なアプローチには注目すべき点は多い。画面中央に配される若い女は静謐な雰囲気の中、左手で持つ書物に視線を落とし、読書(書物の内容)に集中している。豊かな量感によって描かれる女の姿態は余計な力みを一切感じさせず、やや脱力的に扱われながらも、全体としては気品の高さを強く感じさせる。特にこの若い娘の微かにあどけなさの残る端整な横顔や、憂いにも似た複雑な感情を思わせる瞳の表情は特筆に値する出来栄えである。また技巧的な要素を考察してみても、素早く流れるかのような軽快でやや大ぶりの筆触によって描写される若い女の瑞々しい肌や髪の毛の表現や、身に着ける黄色の衣服と暗深な青緑色の背景との色彩・明暗的対比からは画家の優れた力量を存分に感じることができる。 |
No.14泉
| 商品番号 | 14 |
|---|---|
| 作品名 | 泉 |
| 原画情報 | 164 × 82 cm 1856年 オルセー美術館 |
| 作品紹介 | 画家のみならず新古典主義における裸婦の傑作としても名高い本作は、アングルがローマ賞受賞後、20年近く滞在したイタリアのフィレンツェで、おそらくは1820年頃から制作が開始された、≪泉≫の擬人像としての裸婦作品である(※≪泉≫の擬人化の典拠として14世紀の彫刻家ジャン・グージョンによる『イノサン噴水の浮き彫り彫刻』などが挙げられている)。画面中央に配される泉の擬人像は正面を向きつつ首を右側に傾げ、下がった左肩に水が流れ出る水瓶を乗せながら全身をS字にしてバランスをとってる。この体の重心を片方(本作では左足)にのせ、もう片方(本作では右足)を遊脚にすることで全身をS字形に流曲させる姿態≪コントラポスト≫は、古代ギリシャの彫刻家が祖とされ、ルネサンス期の巨匠ミケランジェロも傑作『ダヴィデ像(ダビデ像)』で用いるなど、古典的かつ伝統的な姿態構図として芸術家の間では一般化しており、また本作はそれを用いた新古典主義時代の典型的な作品としても広く知られる。皺ひとつない大理石を思わせる滑らかな肌や皮膚、均整的で理想化を感じさせる調和的な裸婦の肉体、無駄がなく明快で理知的な構図と正面性、動きの少ない安定的な画面構成などの点からも本作は、芸術におけるひとつの完成形として後世の画家たちに多大な影響を与えた。なお本作は1820年頃から制作が開始されているものの、アングルが晩年期に入って間もない1856年に画家の弟子らによって完成させられた。 |
No.15民衆を導く自由の女神
| 商品番号 | 15 |
|---|---|
| 作品名 | 民衆を導く自由の女神 |
| 原画情報 | 259 cm × 325 cm 1830年 ルーヴル美術館 |
| 作品紹介 | 民衆を導く自由の女神(みんしゅうをみちびくじゆうのめがみ、仏: La Liberté guidant le peuple)は、ウジェーヌ・ドラクロワによって描かれた絵画。1830年に起きたフランス7月革命を主題とするもので、1831年5月のサロン展に出品された。フランス国外に出たのは、イギリス・アメリカ・日本に貸し出された時のみである。 絵の中心に描かれている民衆を導く果敢な女性は、フランスのシンボルである、マリアンヌの代表的な例の1つである。原題のLa Liberté guidant le peupleから分かるように、女性は自由を、乳房は母性すなわち祖国を、という具合に、ドラクロワはこの絵を様々な理念を比喩(アレゴリー)で表現している。一方で彼女がかぶるフリギア帽は、フランス革命の間に自由を象徴するようになった。女性の隣に立つ、マスケット銃を手にしたシルクハットの男性はドラクロワ自身であると説明される事が多い。フランス政府は1831年に革命を記念するためとしてこの作品を3,000フランで買い上げたが、あまりにも政治的で、扇動的であるという理由から、1848年革命まで恒常的な展示は行われなかったという歴史を持つ。1874年にルーヴル美術館に収蔵された。 絵画としてのスタイル、フランス7月革命というテーマから、絵画におけるロマン主義の代表作と言える。 |
No.16落穂拾い
| 商品番号 | 16 |
|---|---|
| 作品名 | 落穂拾い |
| 原画情報 | 111×83.5cm 1857年 オルセー美術館 |
| 作品紹介 | 農民画の画家ミレー屈指の名作として知られる『落穂拾い』。農地に落ち残った稲穂を拾い集めるという農民の逞しい生活を描いたこの作品は1857年サロンに出展され、保守的な批評家たちから「貧困を誇張している」「社会主義的だ」など議論を呼んだ。農婦がおこなっている一連の動作をよく観察しなければ描けない表情が、作業する手の描写などによく表れている。 |
No.17晩鐘
| 商品番号 | 17 |
|---|---|
| 作品名 | 晩鐘 |
| 原画情報 | 55.5×66cm 1855-1857年 オルセー美術館 |
| 作品紹介 | ミレーの「晩鐘」は、レオナルド・ダ・ビンチの「モナリザ」と並んで、日本人に最も親しまれている絵といってよいかも知れません。その日の畑仕事を終えた農夫とその妻が、夕暮れの野に立って、神に祈りを捧げる敬虔な姿に、多くの人が感銘するためでしょう。 ミレーは子どもの頃のことを考えながら、この絵を描いたそうです。夕方、村に教会の鐘が鳴り響くと、祖母は仕事の手をやすめ、少年ミレーに脱帽させて「哀れむべき死者たちのために……」という祈りの言葉をいわせました。以来ミレーには、この夕暮れの時間が一番好きな時間となりました。それは働く人々だけにに与えられた「休息と静寂」の訪れの時だったからにちがいありません。 作家のロマン・ロランは「この絵には音楽的な魅力がある。ミレーは、田舎の夕暮れの音である遠い鐘の声を、この絵の中で聞かせようとした。人間が大地との闘争を終え、平和となったときの淋しいたそがれ時の広野、素朴で孤独な祈祷者の厳粛さを表現している」と記しています。 この絵を描いた1850年代後半、ミレー40歳の頃の暮らしは、とても逼迫していたようです。妻と7人の子どもをかかえ、その日の食べ物にも困るような悲惨な状態でした。しかし、どんなに苦しくとも、心から描きたい農民画に専心する姿勢を変えませんでした。というのも、若い頃パリで描いた作品の多くが裸体画だったため「裸体以外に描く才能のない画家」という評価に嫌気がさし、バルビゾン村に居を移して「貧しく苦しくとも、自然を愛し、信心ぶかく生きていく農民のすがたを描くことが、自身の使命なのだ」と、心に誓ったからです。 貧しさばかりでなく、ときにはすっかり自信を失って自殺を考えたこともありました。でも、心の強い妻や、思いやりのある友だちにはげまされながら、野や畑にでて絵を描きつづけ、やがて現在、山梨県立美術館が所有している「種まく人」や「夕暮れに羊を連れ帰る羊飼い」などの作品を、つぎつぎに発表していきました。 農民たちの心を深くみつめた名画のかずかずは、ミレーの死後、世界の人びとにますます愛されるようになり、フランスの首都パリの「オルセー美術館」 に飾られた「晩鐘」や、同時期に描かれた「落穂ひろい」の前には、これらの名画をたたえる人が、いつもたえることがありません。 |
No.22ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏場
| 商品番号 | 22 |
|---|---|
| 作品名 | ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏場 |
| 原画情報 | 131×175cm 1876年 オルセー美術館 |
| 作品紹介 | 『ムーラン・ド・ラ・ギャレット』(Bal du moulin de la Galette)は、ルノワールが35歳のときに描いた絵画作品。1877年の第3回印象派展に出品された作品でもある。題名のムーラン・ド・ラ・ギャレットは、パリのモンマルトルにあったダンスホールの名。画中の人物たちは、彼の友人たちがモデルになっている。 当時、ルノワールはこのダンスホールの近くに住んでおり、アトリエから通いながら制作していた。だが、縦131センチ、横175センチもあるこの作品を持ち運ぶことは困難で、傷つく虞もあるため、ダンスホールには半分ほどのサイズのキャンヴァスを持って行った。そして、現場で描いた小さい方の絵を持ち帰り、これをもとにして、アトリエでは大きい方の絵を描いた。 上述の通り、画中の人物たちはルノワールの友人たちであり、名前が判明している人物を挙げると、手前の左側でダンスをしている黒い帽子の男性は、キューバの画家のカルデナス、そのカルデナスの相方の女性が当時ルノワールの |
No.23イレーヌ・カーン・ダンヴェルス嬢
| 商品番号 | 23 |
|---|---|
| 作品名 | イレーヌ・カーン・ダンヴェルス嬢 |
| 原画情報 | 65×54cm 1880年 ビュレル・コレクション |
| 作品紹介 | 当時としては数少ないルノワールの理解者であり庇護者でもあった裕福な銀行家ルイ・カーン・ダンヴェールの三人の女の子供の内、末娘である≪イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢≫の肖像として1880年から翌年にかけて制作された作品である。ルノワールは自身の娘や(画家の)理解者からの依頼などを始めとして、子供を画題とした肖像画を数多く手がけているが、その中でも本作は特に優れた作品として知られている。 |
No.24舞台の踊り子
| 商品番号 | 24 |
|---|---|
| 作品名 | 舞台の踊り子 |
| 原画情報 | 60×44cm 1878年 オルセー美術館 |
| 作品紹介 | ドガはバレエやオペラが好きで、オペラ座などによく通っていました1873年オペラ座が焼け、バレエ団がドガのアトリエそばに越してから、よく写生に通っていました。この作品は踊り子を描いた作品のうちのひとつ。 |
No.25笛吹き少年
| 商品番号 | 25 |
|---|---|
| 作品名 | 笛吹き少年 |
| 原画情報 | 161×97cm 1866年 オルセー美術館 |
| 作品紹介 | この絵は1866年のサロン展に出品、落選します。この時ゾラが、雑誌の論文で熱烈に弁護したのは有名です。「父たちはクールベを笑ったが、今我々は彼の作品の前で恍惚としている。今マネを笑っているが息子達は彼の絵の前でうっとりするだろう。マネ氏は明日の巨匠の一人」この作品にはスペイン絵画と日本の浮世絵版画からの影響がみられます。前者からは僅かな灰色の陰影から空間の立体感の構成、後者からは単純で表現性豊かな二次元的形態が指摘できます。 |
No.26ベルジェール劇場のバー
| 商品番号 | 26 |
|---|---|
| 作品名 | ベルジェール劇場のバー |
| 原画情報 | 96×130cm 1881-1882年 コートールド美術研究所 |
| 作品紹介 | エドゥアール・マネ最晩年の傑作『フォリー=ベルジェール劇場のバー』。画家が死の前年に完成させた、最後のサロン出典作でもある、この類稀な傑作に描かれるのは、当時流行に敏感な人々が挙って集ったパリで最も華やかな社交場のひとつであったフォリー=ベルジェール劇場のバーと、シュゾンという女性をモデルにした給仕の姿である。画家はこの頃(おそらく梅毒によって)左足が壊疽しかけており、激痛に耐えながらもフォリー=ベルジェール劇場に通い習作を描くも、痛みが増し、歩けないほどまでに悪化すると、アトリエに同劇場のバーのセットを組み、そこにモデルを立たせ本作を完成させたことが知られている。女給仕シュゾンの背後の情景は鏡に映ったフォリー=ベルジェール劇場で繰り広げられる様々な情景であり、画面右部分で紳士(モデルは画家のガストン・ラトゥーシュ又はアンリ・デュプレ)と会話する女は給仕本人の鏡に映る後姿である。中央では給仕を真正面から捉え描き、右部の鏡に映る後姿は紳士と共に角度をつけて描かれている点などから、本作では現実ではありえない構図的・空間的矛盾が生じており、発表当時は辛辣な酷評を受けたものの、平面的でありながら空間を感じさせる絵画的な空間構成や、給仕の魅惑的とも虚無的とも受け取ることのできる独特な表情は、観る者をフォリー=ベルジェール劇場の世界へと惹き込む。パリという都会の中で興じられる社会的娯楽を的確に捉え、そのまま切り取ったかのような本作では技法的にも、大胆に筆跡を残す振動的な筆さばきや色彩など特筆すべき点が多々存在し、中でも画面前面に描かれる食前酒など様々な酒瓶、オレンジや花が入るクリスタルのグラスなどの静物は秀逸の出来栄えを示している。 |
No.27オフィーリア
| 商品番号 | 27 |
|---|---|
| 作品名 | オフィーリア |
| 原画情報 | 76.2×111.8cm 1851-52年 テート・ギャラリー |
| 作品紹介 | レー自身及びヴィクトリア朝の最高傑作と名高いこの作品は、1862年のロイヤル・アカデミー展に出品したもので、シェイクスピアの『ハムレット』のヒロインを題材にしたものである。川の流れに仰向けに浮かぶ少女のモデルは、後にロセッティの妻となるエリザベス・シダルである。 夏目漱石の小説『草枕』にこの絵に言及した箇所がある。 また、日本画家の山本丘人がこの絵画の影響を受けた『水の上のオフェリア』(原題:『美しき屍』)を描いている。 |
No.28盲目の少女
| 商品番号 | 28 |
|---|---|
| 作品名 | 盲目の少女 |
| 原画情報 | 82.6×62.2cm 1854-56年 バーミンガム市立美術館 |
| 作品紹介 | この作品は、ミレイの自宅付近に住んでいた盲目の少女をモデルに描いた作品。雨上がりの草むらでのひとときを描いており、虹が出て空も晴れ、気持ち良さそうな自然の雰囲気が伝わってくる作品です。 |
No.29真珠の耳飾りの少女(青いターバンの少女)
| 商品番号 | 29 |
|---|---|
| 作品名 | 真珠の耳飾りの少女(青いターバンの少女) |
| 原画情報 | 46.5×40cm 1665-66年頃 マウリッツハイス美術館 |
| 作品紹介 | 『真珠の耳飾の少女』・「北方のモナ・リザ」とも称される人気作品。 フェルメールによる女性の単身像は多いが、暗い背景に人物の胸から上のみを浮かび上がらせた作品は、これと「少女」しかない。クリッとこちらに向けたまなざしといい、わずかに開いた初々しい口といい、まるで少女が振り返った瞬間をスナップ写真で撮ったかのようにいきいきした表情だ。 耳飾りの真珠の輝きやアウトフォーカス気味の顔の描き方も写真的な効果を高めている。頭頂部から垂れた布や上着の黄色、薄紅色の頬、唇の赤と、暖色系が多いなかで、ターバンの青が画面を引き締めている。 ターバンは当時のオランダではみられない異国趣味の風俗だった。 フェルメールの生涯と作品については、わずかなことしか分かっていない。この絵画には「IVMeer」というサインがあるが、日付はない。注文を受けて描かれたのか、誰から注文を受けたのか、ということも不明である。いずれにせよ、おそらく伝統的な肖像画ではない。フェルメールは、少女が誰かに気付いて振り返った一瞬を捉えようとしたのであろう。この少女が誰なのかは不明だが、フェルメールの恋愛説などあるが今、有力視されているのはフェルメールの娘の一人マリアだという説である。 Victor de Stuersはフェルメールの希少な作品が海外に流れるのを防ごうとしてきたが、A.A. des Tombeは彼の意見に従い、1881年にハーグのオークションでたった2ギルダー30セント(およそ3000円)でこの絵を購入した。当時はこの絵の状態は非常に悪かった。Des Tombeには相続人がいなかったため、この絵をほかの絵画と一緒にマウリッツハイス美術館に寄贈した。現在取引きされると100億円とも150億円とも言われる。 1937年、収集家アンドリュー・メロンは、この絵と非常によく似た絵で、フェルメールの作品と思われたものをワシントンD.C.のナショナル・ギャラリーに寄贈した。その絵は現在では贋作と考えられている。フェルメールの専門家Arthur Wheelockは、1995年の論文でTheo van Wijngaardenの手によるものと主張している。Theo van Wijngaardenは20世紀の画家で悪名高い贋作家であり、さらに悪名高いハン・ファン・メーヘレンの友人であった。 |
No.30牛乳を注ぐ女
| 商品番号 | 30 |
|---|---|
| 作品名 | 牛乳を注ぐ女 |
| 原画情報 | 45,5×41cm 1658年 アムステルダム国立美術館 |
| 作品紹介 | この絵は常にフェルメールの最高傑作、完璧な出来栄えの名作といわれています。 この作品も例外でなく、女性が牛乳を注ぐという日常的な1コマが描かれています。全体的には柔らかな雰囲気を与えつつも、女性の服やテーブル上の布の黄色・青色と白壁のコントラストが、明瞭な印象を与え、見る人に強い印象を残すのです。フェルメールの特長とも言える、ポワンティエ技法(点綴法)が画面全体に見られ、特にテーブルのパンは光の表現が絶妙に描かれています。さらには壁に描かれた釘の痕、陽光のグラデーションなど細部まで綿密な描写で描かれているのもフェルメールの特徴のひとつです。 20世紀のはじめアメリカ人の手に渡りそうになり、国内で強い反対を招き、オランダ議会により国が買上げた有名な作品です。 |
No.46忘れえぬ人(見知らぬ女)
| 商品番号 | 46 |
|---|---|
| 作品名 | 忘れえぬ人(見知らぬ女) |
| 原画情報 | 75.5×99.0cm 1883年 トレチャコフ美術館(モスクワ) |
| 作品紹介 | ディテールが素晴らしく、帽子の白い縁取りがベルベットの布地を際立たせ、真珠飾りとダチョウの羽飾りが非常にリアル。光るサテンのリボンに茶色の毛皮、金の腕輪もリアルに迫ってきます。 背景にぼんやり描かれた街並みも厳冬のロシアをよく表現しています。 外気の冷たさとは対照的に、女性の内には秘めた静かな情熱がたぎっているかのようです。 クラムスコイは、15歳のときイコン画家のもとで絵の勉強を始め、軽い気持ちで受けたペテルブルグ芸術アカデミーに合格してしまいます。その後、卒業制作をボイコットしアカデミーを去り、移動美術展協会の創立者となります。移動美術展協会とは、アカデミー派の作品に対抗しリアリズム絵画を民衆に浸透させるために各地で展覧会を行った芸術家集団のことだとか。 しかし、1880年以降、移動美術展協会内部の問題が起こり、二人の子どもを亡くし、妻が病に倒れると、彼自身にも病魔が。 長年の大作「嘲笑。喜べ、ユダヤの王よ」の制作を続けていましたが、1882年に筆を折ってしまいます。 この「忘れえぬ女」を描いたのは1883年。そんな精神的苦境のさなかに描かれた作品とは思われないほどの魅力に溢れています。 クラムスコイは、その4年後、医師の肖像画を描いている最中に倒れ、絵筆を持ったままこの世を去りました。 |
No.48希望
| 商品番号 | 48 |
|---|---|
| 作品名 | 希望 |
| 原画情報 | 141×110㎝ 1885~1886年 |
| 作品紹介 | アメリカ大統領オバマを強く影響したこの作品はは、とても神秘的な作品である。 地球を思わせる球体の上で、目隠しをした女が、一本しか弦のない竪琴を抱き、その音に一心に耳をかたむけている。 極めて象徴的な作品と言えよう。 当時、この絵は、「希望」というよりは「絶望」という題の方がふさわしいと言われたそうだ。 絶望のなかでの ぎりぎりの希望 地球を思わせる薄茶色の球体の上に、目隠しをした女性。 竪琴を大切そうに抱え、最後の一本の弦をつまびく。 彼女の魂は、一本の弦が奏でる微かな音色に集中する。 全体に薄暗い淡い色調は、あきらめに似た絶望。 けれど、一本の弦がある、それは、絶望のなかでの彼女のたったひとつの、ぎりぎりの、希望。 ひとは、そのシチュエイションは戦争であったり、人生そのものであったり、そして恋愛であったりするけれど、この絵のような「希望」をきっと経験している。 |
No.50湖畔
| 商品番号 | 50 |
|---|---|
| 作品名 | 湖畔 |
| 原画情報 | 69×84.7cm 1897年 東京国立博物館 |
| 作品紹介 | 近代日本洋画の父、黒田清輝が手がけた最高傑作『湖畔』。国の重要文化財に指定されている本作は1897(明治30)年、画家と後に黒田夫人(妻)となる金田種子(当時23歳。のちに照子と改名)が避暑として箱根の芦ノ湖を訪れた際、照子をモデルに芦ノ湖の湿潤な情景を描いた作品で、黒田清輝の最も世に知られる作品としても著名である。現在残される照子の証言によれば、脚の湖畔の岩に腰掛ける夫人の姿を目撃した清輝が「よし、明日からそれを勉強するぞ」と興趣を覚えて下絵も描かずに取り組んだとされている。画面前景に団扇を右手に持ち浴衣を着た照子夫人の岩に腰掛ける姿が描かれており、やや異国的な雰囲気を醸し出す夫人は遠くを見るかのような眼差し画面右側へ向けている。そして中景には悠々とした静かな芦ノ湖がしっとりと描写されており、遠景には小高い山々が広がっている。本作の最も注目すべき点は日本の高地の夏を感じさせる大気的な表現にある。平滑な筆触によって淡彩的で薄白的な色彩を画面に敷いたかのような水彩的な描写からは、日本の夏独特の湿度の高い空気を明確に感じることができ、画面全体を包み込む飽和的な空気の水分が本作の瑞々しく清潔な色彩や照子夫人の嫋やかな雰囲気と見事に呼応している。これこそ黒田清輝が本作で取り組んだ日本独自の洋画表現そのものであり、だからこそ今も我々日本人の心に深く染み入るのである。また本作の画面構成に注目しても、しばしばスナップ・ショット的と形容される対象の自然的な瞬間を捉えた写真的な構図も秀逸の出来栄えを示しており、観る者を本作の世界観へと無理なく惹き込むのである。なお本作は制作された1897年に開催された第2回白馬会展に『避暑』という名称で出品されたほか、1900年のパリ万博へも出品されている。 |
風景名画
No.8雪中の狩人
| 商品番号 | 8 |
|---|---|
| 作品名 | 雪中の狩人 |
| 原画情報 | 117 cm × 162 cm 1565年 美術史美術館(ウィーン) |
| 作品紹介 | 『雪中の狩人』は、雪の山間集落や岩山を背景に、猟銃を背負った狩人が猟犬を引き連れて歩く情景を描いた作品。左下に近景の狩人を配置し、中心にスケートに興じる村民、右上に遠景の山岳を配し、遠近法を巧みに用いている。疲れた狩人の背中からは溜息が聞こえてきそうである。一方、眼下に広がる村では、人々が凍った池でスケートを楽しんでいる。その対比が、人間の喜怒哀楽、生活の貧富、人生の浮き沈みを見るものに印象付ける。前述のように、絵画の中心が、神でもなく、風景でもなく、人間であることから、『雪中の狩人』は、ルネサンス的田園風景画の代表作と言われる。 |
No.31デルフトの眺望
| 商品番号 | 31 |
|---|---|
| 作品名 | デルフトの眺望 |
| 原画情報 | 98,5×117,5cm 1659-1660年 マウリッツハイス美術館 |
| 作品紹介 | 本作はロッテルダムとデン・ハーグとの中間に位置するオランダ南ホラント州の都市で、画家が生まれ生涯を過ごした≪デルフト≫の朝七時頃(作品内の時計塔は同時刻を指している)の街並みを描いた風景画であるが、街の前景に影を、後景に光を当てる光彩描写や、理想的な美しさを求め現実の街の姿を変革し描いた表現は、同時代に制作された風景画の中でも特筆に値する出来栄えを示している。画面中央の石橋の左右に配されるスヒーダム門(時計塔)、ロッテルダム門は本来この視点からだと平行に見えるはずであるが、構図的により調和性を求めたフェルメールは、右側のロッテルダム門を外側を向くように再構成している。また17世紀当時デルフトの象徴であり同地の英雄オラニエ公ウィリアムが埋葬された新教会は、朝日に照らされ画面内で最も輝きを放っている。本作は描かれた16世紀当時から評価が高く、1696年におこなわれた画家作品の競売では最高価格200ギルダーで、1822年にマウリッツハイス美術館が購入した際には2900ギルダーの値がつけられたことが資料に残されている。なおマウリッツハイス美術館で本作を観覧した20世紀フランス文学を代表する作家マルセル・プルーストは、後に「あの絵画を見て、私は世界で最も美しい絵画を見たのだと悟った」と語り、自身の傑作『失われた時を求めて』に重要なモチーフとして登場させている。 |
No.32デルフトの小道
| 商品番号 | 32 |
|---|---|
| 作品名 | デルフトの小道 |
| 原画情報 | 53.5×43.5cm 1558-1559年頃 アムステルダム国立美術館 |
| 作品紹介 | この作品はデルフトの街の風景を描いたとされていますが、描かれた場所を特定することができません。ある街並みを一方向から見て、その風景を切り取り描いたのではなく、様々な場所を組み合わせて描かれていると云われています フェルメールが風景画を描くことは非常に珍しく、現存しているのはこの「小路」と「デルフトの眺望」の2点だけとされています。 |
No.33春のブーケ
| 商品番号 | 33 |
|---|---|
| 作品名 | 春のブーケ |
| 原画情報 | 101×79cm 1866年 フォッグ美術館 |
| 作品紹介 | 19世紀の印象派の代表画家として有名なルノアール。「花を描いたら右に出る画家はいない」と賞賛されるほどの彼は、生涯を通して花を描き続けました。この作品は、ルノワールが「花」を描いたシリーズのうちのひとつ。 |
No.47モルトフォンテーヌの想い出
| 商品番号 | 47 |
|---|---|
| 作品名 | モルトフォンテーヌの想い出 |
| 原画情報 | 65×89cm 1864年 ルーヴル美術館 |
| 作品紹介 | コローの風景画は1850年頃を境にして表現様式が変わります。前期の作品は写生に基づく写実主義が主体でしたが、後期になると詩的でメランコリックな感情が画面を支配します。コローが一般的な賞賛を得るようになるのはこうした後期の作風によってです。パリの北方30キロのところにあるモルトフォンテーヌには広大な庭園があり、ヴァトーの絵画にも詩想を与えています。同じような詩情をたたえたコローのこの作品は、1864年のサロンで大好評を得ました。 |
印象派名画
No.18睡蓮
| 商品番号 | 18 |
|---|---|
| 作品名 | 睡蓮 |
| 原画情報 | 87.6 × 92.7 cm 1906年 シカゴ美術館 |
| 作品紹介 | 印象派最大の巨匠のひとりクロード・モネが晩年期に手がけた最も有名な連作『睡蓮』。第一次大戦(1914-1918年)中に描かれた本作は、画家が1683年から借家で住み始め、1690年には買い取ったジュヴェルニーの自宅兼アトリエに造園した名高い庭園の池に浮かぶ睡蓮を連作的に描いた作品であるが、画家らしい移ろう水面やそこに反射する陽光の表現、色鮮やかな睡蓮や揺らめく水草の印象的な描写は、正にモネの『睡蓮』の名に相応しい素晴らしい出来栄えである。本作はモネと親交のあった松方幸次郎が、1916年から1923年にかけて日本の若い画家のために本物の西洋絵画を求め収集されたコレクション(松方コレクションと呼ばれる)の中の一枚で、1899年からモネは庭園の他のモティーフと共に『睡蓮』の連作を描き始めたことが知られているが、1910年代初頭には『睡蓮』のみの描写・表現に没頭していく。その中でも本作の水面に揺蕩う睡蓮の色彩、特に睡蓮の蕾に用いられた鮮やかな赤色や黄色や、強く筆跡が残された淡紅色や真紅などの暖色は、池の深淵な蒼色と互いに引き立て合い、美しさや刻々と変化する水面の動きや時間だけでなく、観る者に神秘的な印象すら与える。 |
No.19印象・日の出
| 商品番号 | 19 |
|---|---|
| 作品名 | 印象・日の出 |
| 原画情報 | 48×63cm 1872年 マルモッタン美術館 |
| 作品紹介 | 印象派の名称の由来となった、巨匠クロード・モネが手がけた最も有名な作品のひとつ『印象 -日の出-』。本作は画家が10代の頃に住み風景画家ウジェーヌ・ブーダンから自然光(外光)の美しさを学んだ地であるノルマンディ地方のル・アヴールの港町の写真家ナダールのスタジオで開かれた1874年に開かれた第一回印象派展で画家が出典した作品である。当初『日の出』のみの名称で出品されていたが、名称が短すぎるとの指摘を受けて、画家自らが前部に≪印象≫と付け加えた本作は、画家の最も特徴的な手法である筆触分割(色彩分割とも呼ばれ、細く小さな筆勢によって絵具本来の質感を生かした描写技法)を用いて、ル・アヴール港を素描写生的に描いた作品であるが、当時の批評家ルイ・ルロワはル・シャリヴァリ誌に「印象?たしかに私もそう感じる。しかしこの絵には印象しかない。まだ描きかけの海景画(壁紙)の方がマシだ。」と本作を嘲笑する記事を諷刺新聞に寄稿し掲載されたが、この記事によって反伝統のバティニョール派が開催した最初の独立展覧会に出典した画家ら(モネ、ルノワール、エドガー・ドガ、カミーユ・ピサロ、ギヨマン、ベルト・モリゾ、セザンヌ、シスレーなど)は印象派と呼称されるようになった。本風景の海面、船舶、船の漕ぎ手、煙、そして太陽などの構成要素は筆触分割によって、形状や質感の正確性・再現性は失っているものの、大気の揺らぎや、刻々と変化する海面とそこに反射する陽の光の移ろい、陽光による自然界での微妙な色彩の変化など観る者がこの風景の印象として受ける独特の感覚は、英国を代表するロマン主義の風景画家ウィリアム・ターナーの『ノラム城、日の出』に強い影響を受けた画家がより進化(発達)をさせた筆触分割兼印象的描写でなければ表現できなかったものであり、この新たな表現手法こそ当時席巻していたアカデミー的な伝統主義とは決定的に異なるモネのアプローチ方法であった。なおこの第一回印象派展はルイ・ルロワの批評もあって不評に終わっている。 |
No.20散歩、日傘をさす女性
| 商品番号 | 20 |
|---|---|
| 作品名 | 散歩、日傘をさす女性 |
| 原画情報 | 100×81cm 1875年 ワシントン・ナショナル・ギャラリー |
| 作品紹介 | 印象派の巨匠クロード・モネの最も世に知られる代表作のひとつ『散歩、日傘をさす女性』。1876年に開催された第二回印象派展に出典されたこの類稀な傑作に描かれるのは、クロード・モネが1860年代から70年代にかけてしばしば取り組んだ、戸外での人物像をモティーフとした作品で、画家が当時滞在していたパリ北西ヴァル=ドワーズ県の街アルジャントゥイユの草原に立ち日傘をさす女性は、当時の妻であるカミーユ・ドンシュー(カミーユは1879年に死去し、モネはその後1892年に再婚する)を、傍らに添う幼児は長男ジャン(当時5歳)をモデルに制作されている。観る者がこの二人(妻カミーユと息子ジャン)を見上げるような視点で描かれる本作で最も印象的なのは、逆光と風の中のカミーユのおぼろげな表情にある。日傘を手に観る者と視線を交わすカミーユの顔は、自然風の中でなびくヴェールによって遮蔽されている。この面紗(ヴェールの意)の自然的な運動による瞬間的な印象性を描き出すことによって、草原に立つ女性を観る者は面影として捉えるため、強く心象に残り、かつ神秘的にすら感じるのである。また画面の大部分を構成する青色、白色、緑色、黄色などの色彩は、自然と触れ合うことによって感じる爽やかで心地よい感覚を観る者に与えるのである。なお本作は人物の描写に重点を置いているが、画家が約10年後の1886年に制作した(本作と極めて類似する構図の)対画『戸外の人物習作(右向き)』、『戸外の人物習作(左向き)』では、人物と風景が渾然一体となって表現されている。 |
No.21アルジャントゥイユのひなげし
| 商品番号 | 21 |
|---|---|
| 作品名 | アルジャントゥイユのひなげし |
| 原画情報 | 50×65cm 1873年 オルセー美術館 |
| 作品紹介 | 晴れた青空の下、赤いひなげしの野原を歩いてくる婦人と子ども。日傘をさした婦人は妻カミーユ、摘んだひなげしの花束を持った子どもは、6歳になった長男ジャンだといわれています。空と野原の境を画面の中央に配し左側で青と赤の対比を鮮明にし、中央遠方に建物を置き見るものの視線を自然と誘導、絵に奥行きを与えています。野原の微妙な色彩の違いが青と赤を引き立てているのです。 よく見ると丘の上にもう一組の親子がいます。これも同一人物だと思います。向こうからこちらに歩いてきた時間の経過を表わしているのではないでしょうか?もしかしたら、そんな短い幸せの一瞬をこの絵に閉じ込めたかったのしれません。 |
No.34グランド・ジャット島の日曜日の午後
| 商品番号 | 34 |
|---|---|
| 作品名 | グランド・ジャット島の日曜日の午後 |
| 原画情報 | 205.7×305.8cm 1884-1886年シカゴ美術研究所 |
| 作品紹介 | 1884年に作者は生涯最大の大作で代表作でもある『グランド・ジャット島の日曜日の午後』の制作に着手している。グランド・ジャット島に集う50人ほどの人物を点描で描き出したこの大作は、1886年の第8回印象派展(最後の印象派展)に出品されて話題となった。「新印象派」という名称は、この作品を見た批評家フェリックス・フェネオンが同年発表した雑誌記事の中で最初に使ったものである。この作品の題材となったグランド・ジャット島は、セーヌ川の中洲で、パリ北郊クールブヴォア付近にある。 |
No.35夜のカフェテラス
| 商品番号 | 35 |
|---|---|
| 作品名 | 夜のカフェテラス |
| 原画情報 | 81×65.5cm 1888年 クレラー=ミュラー国立美術館 |
| 作品紹介 | 夜のカフェテラス (英語名:The Café Terrace on the Place du Forum, Arles, at Night) は、1888年9月にフィンセント・ファン・ゴッホによってかかれた絵画。油彩。 南フランス・アルルの星空の下、人でにぎわうカフェテラスが描かれている。この絵でゴッホは初めて黒をあまり使わずに夜空を描いた。 モデルとなったカフェはアルルのプラス・デュ・フォルムという広場に面した店で、「カフェ・バン・ゴッホ」という名で現存する。 2006年5月にシャープの液晶テレビ「AQUOS」のコマーシャルに使用され、映画「名探偵コナン 探偵たちの鎮魂歌」でも登場している。 |
No.36ひまわり
| 商品番号 | 36 |
|---|---|
| 作品名 | ひまわり |
| 原画情報 | 92×72.5cm 1888年 ロンドン・ナショナル・ギャラリー |
| 作品紹介 | 牧師の子としてオランダに生まれたゴッホは、画家になる前にベルギー、イギリス、フランスなどで暮らしました。ゴッホにとって“ひまわり”は特別の意味を持つもので、同じような構図の絵を7点描いており、1点は第2次大戦中に日本で焼失しました。ロンドンの競売で日本の保険会社が58億円で買った絵はこの作品とほぼ同じサイズ30号のひまわりです。花瓶にさされたひまわりの構図は同じですが、色彩配合や花の表現に微妙な違いがあります。 |
No.37星月夜
| 商品番号 | 37 |
|---|---|
| 作品名 | 星月夜 |
| 原画情報 | 73×92cm 1889年 ニューヨーク近代美術館 |
| 作品紹介 | 星月夜(ほしづきよ、英語: The starry night, オランダ語: De sterrennacht)は、ゴッホの代表作のひとつ。1889年、フランスサン=レミ=ド=プロヴァンスのサン=ポール・ド・モゾル修道院の精神病院で療養中に描かれた。 この絵はフランス人作曲家アンリ・デュティユーの管弦楽曲「音色、空間、運動 (Timbres, Espace, Mouvement) 」にインスピレーションを与えた。 |
No.38自画像(渦巻く青い背景の中の自画像)
| 商品番号 | 38 |
|---|---|
| 作品名 | 自画像(渦巻く青い背景の中の自画像) |
| 原画情報 | 65×54cm 1889年 オルセー美術館 |
| 作品紹介 | フィンセント・ファン・ゴッホは生涯に多くの自画像(じがぞう)を生みだした。 おそらくゴッホの自画像は、鏡像を見ながら描いたものと思われる。つまり、描かれたゴッホの顔の右半分は、実際には左半分なのである。 |
No.39タヒチの女たち(浜辺にて)
| 商品番号 | 39 |
|---|---|
| 作品名 | タヒチの女たち(浜辺にて) |
| 原画情報 | 69×91.5cm 1891年 オルセー美術館 |
| 作品紹介 | ゴーギャンの最初のタヒチ滞在は1891年6月から93年夏頃までです。彼が作品30点を売った1万フランを資金にタヒチへ渡り、パペーテに着いた数日後にタヒチ島に君臨していた最後の王様が死に、島は完全にフランスの植民地になってしまいました。この「南海の楽園」の古い風習や伝統がヨーロッパ文明によって破壊される時期に、ゴーギャンは立ち会ったのです。最初のタヒチ滞在中に、2人のタヒチの女を組み合わされた構図の作品が何点か制作されました。 |
No.40黄色いキリスト
| 商品番号 | 40 |
|---|---|
| 作品名 | 黄色いキリスト |
| 原画情報 | 92×73cm 1889年 ノックス・アート・ギャラリー |
| 作品紹介 | 近代絵画芸術の巨人ポール・ゴーギャン第三次ブルターニュ滞在期の代表作『黄色いキリスト』。第二次ブルターニュ滞在期に画家が手がけた作品『説教のあとの幻影(ヤコブと天使の闘い)』と並び、象徴主義的な総合主義絵画の代表的作例として知られている本作に描かれるのは、ブルターニュの農婦らが厚い信仰によって磔刑に処される主イエスを幻視する姿である。象徴的に描かれる黄色の主イエスの姿は、≪総合主義(サンテティスム)≫の提唱した地でもある、ブルターニュ地方ポン=タヴェン近郊の教会≪トレマロ礼拝堂≫の木彫りのキリスト像(十字架像)から着想が得られているが、主イエスの姿は農婦らの幻視ではなく、画家自身の内面的心象の表れであると考えられている。事実、ゴーギャンは同時期に、この黄色い主イエスの姿を背後に配した自画像『黄色いキリストのある自画像(サン=ジェルマン=アン=レ美術館所蔵)』や、キリストの顔を自身の顔に変えた『オリーブ山のキリスト(ノートン・ギャラリー所蔵)』を制作している。秋のブルターニュの風景の中に描かれる、主イエスや敬虔な農婦らの姿、朱々と紅葉する木々、黄色く輝く丘などは太く明確な輪郭線によって個々が区別され、内部の平面的で強い(原色的な)色彩描写によって純化されている。これらクロワゾニスム(対象の質感、立体感、固有色などを否定し、輪郭線で囲んだ平坦な色面によって対象を構成する描写方法)を用いた独自的な絵画展開は、画家とエミール・ベルナールが提唱した総合主義そのものであり、今なお、その輝きは色褪せず、観る者へと深く迫ってくるようである。なお内容的・表現的特徴の類似からエミール・ベルナールは本作を見た後、「これは私の作品の盗用である」との言葉を残している。 |
No.41リンゴとオレンジ
| 商品番号 | 41 |
|---|---|
| 作品名 | リンゴとオレンジ |
| 原画情報 | 73×92cm 1895-1900年 オルセー美術館 |
| 作品紹介 | セザンヌの晩年の静物画は、古典主義的な構成の中にバロック的な動性と自由さ、それに叙情性が加わって、完成された画風といえます。この絵はその代表的作品の一つで、台の上でなく長椅子に白いクロスをかけて、その上にティーポットや皿をのせ、果物を配する独特の構図です。今にも手前に転がり落ちそうな感じが画面に生き生きとした躍動感を与えています。絵の具の薄塗りも晩年の特徴で、リンゴとオレンジは色の見事な転調で形と量感を表しています。 |
No.42接吻
| 商品番号 | 42 |
|---|---|
| 作品名 | 接吻 |
| 原画情報 | 180×180cm 1907-1908年 オーストリア美術館 |
| 作品紹介 | ゼツェッション(ウィーン分離派)最大の画家グスタフ・クリムトが残した傑作『接吻』。おそらく画家の最も著名な作品である本作は、クリムトと恋人であったエミーリエ・フレーゲと最も良い関係であった頃に自身らをモデルにして、当時タブーとされていた題材である≪接吻≫を主題とし描いた作品で、1908年にウィーンで開催された総合芸術展≪クンストシャウ≫で、検閲を逃れ発表された本作は熱狂的なまでに大好評を博し、クンストシャウ終了直後にオーストリア政府に買い上げるという、国が認めた名作であることのみならず、ファム・ファタル(運命の女)思想とエロス的表現を、クリムト独自の世界観による金箔を使用した、いわゆる黄金時代期において頂点を成す、最も優れた作品としても広く知られている。眩いばかりの黄金の中に溶け合う男と女は、非現実的でありながらも、極めて深い思想と官能性に満ちている。それは平面的に描かれる男性の纏う衣の装飾≪四角≫と、女性の纏う衣の装飾≪円形≫が補完を意味しているものであり、同時に男女の間に潜む敵意をも表しているからに他ならない。また男女が立っている色彩豊かな花の咲く崖が、愛の絶頂期においても愛や幸せと疑心や不安が紙一重であることを示し、否が応にも見る者にその先に待つ悲劇を予感させる。 |
No.43モスクワ
| 商品番号 | 43 |
|---|---|
| 作品名 | モスクワ |
| 原画情報 | 51.5 × 49.5cm 1916年 トレチャコフ美術館 |
| 作品紹介 | 1866年、ロシアのモスクワ生まれのワシリー・カンディンスキー。 モネの「積みわら」を見て抽象画の原点がここにあると悟り、画家の道に進むことを決意した。抽象画の先駆者と言われるカンディンスキーが描いた作品の一つ。 |
No.44大きな帽子を被ったジャンヌ・エビュテルヌ
| 商品番号 | 44 |
|---|---|
| 作品名 | 大きな帽子を被ったジャンヌ・エビュテルヌ |
| 原画情報 | 55×38cm 1917年 個人所蔵(パリ) |
| 作品紹介 | 1884年、イタリア生まれの20世紀初頭に活動したパリ派の画家・彫刻家アメデオ・モディリアーニ。この作品に描かれているのは、妻ジャンヌ・エビュテルヌである。彼女は、モディリアーニが、肺結核が悪化し35歳で亡くなったとき、子供を身ごもったまま21歳の若さで後追い自殺をした。 |
No.45叫び
| 商品番号 | 45 |
|---|---|
| 作品名 | 叫び |
| 原画情報 | 91×74cm 1893年 オスロ国立美術館 |
| 作品紹介 | 『叫び』(さけび、ノルウェー語: Skrik、英語: The Scream)は、ノルウェーの画家エドヴァルド・ムンクが1893年に制作した、彼の代名詞とも言える油彩絵画作品。ムンクは同年にパステル、1895年にリトグラフ、1910年にテンペラで同じ題名、同じ構図による作品を描いており、全4点の『叫び』が存在する。日本ではムンクの名と併せて「ムンクの『叫び』」と呼ばれることも多い。 幼少期に母親を亡くし、思春期に妹の死を迎えるなど病気や死と直面せざるを得なかった1890年代のムンクが、「愛」と「死」とそれらがもたらす「不安」をテーマとして制作し、「フリーズ・オブ・ライフ(生命のフリーズ)」と称した作品群のうちの一作であり、『叫び』はその中でも最も有名な作品である。また、同題名、同構図の作品群『叫び』の中で世界的に最も著名なのは、最初に描かれた油彩の『叫び』であり、オスロ国立美術館(en)が所蔵している。 極度にデフォルメされた独特のタッチで描かれた人物、血のように赤く染まったフィヨルドの夕景と不気味な形、赤い空に対比した暗い背景、遠近法を強調した秀逸な構図の作品であるが、この絵は、ムンクが感じた幻覚に基づいており、彼は日記にそのときの体験を次のように記している。 “ 私は2人の友人と歩道を歩いていた。太陽は沈みかけていた。突然、空が血の赤色に変わった。私は立ち止まり、酷い疲れを感じて柵に寄り掛かった。それは炎の舌と血とが青黒いフィヨルドと町並みに被さるようであった。友人は歩き続けたが、私はそこに立ち尽くしたまま不安に震え、戦っていた。そして私は、自然を貫く果てしない叫びを聴いた。 ” しばしば誤解されるが、「叫び」はこの絵で描かれている人物が発しているのではなく、「自然を貫く果てしない叫び」のことである。絵の人物は、「自然を貫く果てしない叫び」に怖れおののいて耳を塞いでいるのである。なお、ムンクがこの絵を発表した際、当時の評論家たちに酷評されたが、のちに一転、高く評価されるようになった。 エーケベルグ(en)の町は、高台からオスロとその先のオスロ・フィヨルド(地名に反してフィヨルドではなく、北欧に特徴的な湾であるヴィーケン(en))を望む景観が、『叫び』の実在する舞台として知られている。 |
No.49洪水と小船
| 商品番号 | 49 |
|---|---|
| 作品名 | 洪水と小船 |
| 原画情報 | 50×61cm 1876年 オルセー美術館 |
| 作品紹介 | 本作は同時期に制作された『ポール=マルリの洪水』などと同様、1876年に起こったセーヌ川の大氾濫後のポール=マルリの情景を描いた作品である。画面左部分には当時一階がワイン商の家屋、二階が「ア・サン・ニコラ」という宿屋であった建物が斜めに配され、その前では小船に乗る二人の男が(この状況についてのことだろうか)何か話をしている。画面中央から右側にかけては中景に栗の木が、遠景にはおぼろげな並木が水平に描かれ、その中を一艘の小船が進んでいる。画面下部に広がるセーヌ川から溢れたポール=マルリを覆う水面に反射する、ゆらめく陽光の繊細で柔らかな表現や、やや大ぶりの筆触と、濁色的でありながら軽快な色彩による川の状態表現は画家の様式的特徴が良く表れている。さらに画面の約三分の二の面積を使用される広々とした空の清涼感に溢れる鮮やかな色彩と空間的な開放感には、この洪水によって一変してしまったセーヌ川やポール=マルリの姿、そしてそこで生活する様々な人々の日常とは対照的に、何事においても犯されることのないある種の不変性を感じさせる。本作で表現される(洪水という)自然の驚異とそんな状況下でも逞しく生活する人々、作品全体から醸し出される(あたかも嵐の後のような)静謐な雰囲気と詩情性は、全部で6点制作された同画題(氾濫後のポール=マルリの風景)の作品の中でも特に秀逸の出来栄えであり、観る者の目と心を強く惹きつける。 |
人物肖像15件
ペット肖像16件
アニメ系20件
写実風景30件
No.19道路と土手と塀(切通之写生)
| 商品番号 | 19 |
|---|---|
| 作品名 | 道路と土手と塀(切通之写生) |
| 原画情報 | 1915年 原画サイズ(56×53cm) 東京近代美術館 |
| 作品紹介 | ぐいと空を突き刺すような石垣。壁面右には、雑草が茂る小高い土手が見えます。そして、どこまでも青く澄んだ空。 描かれているのは、今から90年以上前の渋谷区代々木四丁目、ごくごくありふれた風景です。しかし画家は執拗なまでに緻密な筆で描きました。 |
No.7嵐の中のオランダ船
| 商品番号 | 7 |
|---|---|
| 作品名 | 嵐の中のオランダ船 |
| 原画情報 | 1801 163 x 221 cm ロンドン・ナショナル・ギャラリー |
| 作品紹介 | ターナーにとって「海」は、生涯に渡って重要なテーマであり続けた。20代のターナーは、躍動感にあふれる波の表現や風をはらんで進む船の描写で優れた技量を示す海景画を積極的に発表した。 |
印象派31件
No.100都会のダンス
| 商品番号 | 100 |
|---|---|
| 作品名 | 都会のダンス |
| 原画情報 | 1883年 180×90cm オルセー美術館(パリ) |
| 作品紹介 | 1880年代に制作された代表作≪ダンス三部作≫の一枚『都会のダンス』。『田舎のダンス』同様に画商デュラン=リュエルの家の装飾用に制作された本作は、画家の友人であったポール・ロートと、上昇志向が強かった都会的な女性シュザンヌ・ヴァラドン(当時18歳)をモデルに描かれた作品で、単純かつ洗練された構成、画面の中で溶け合うかのような人物と背景の一体感、明確な人物の形態、やや装飾的な表現など、光の効果的な表現や曖昧な輪郭、複雑な空間構成等が特徴であった印象主義時代とは明らかに異なる表現手法によって描かれているのが大きな特徴である。 |
No.99パラヒ・テ・マラエ
| 商品番号 | 99 |
|---|---|
| 作品名 | パラヒ・テ・マラエ |
| 原画情報 | 1892 68 x 91 cm フィラデルフィア美術館 |
| 作品紹介 | 1886年以降、ブルターニュ地方のポン=タヴェンを拠点として制作した。ベルナール、ドニ、ラヴァルらの画家のグループをポン=タヴェン派というが、ゴーギャンはその中心人物と見なされている。ポン=タヴェン派の特徴的な様式はクロワソニズム(フランス語で「区切る」という意味)と呼ばれ、単純な輪郭線で区切られた色面によって画面を構成するのが特色である。 |
No.98人生は戦いなり(黄金の騎士)
| 商品番号 | 98 |
|---|---|
| 作品名 | 人生は戦いなり(黄金の騎士) |
| 原画情報 | 1903年 愛知県美術館 100.0cm×100.0cm |
| 作品紹介 | 1990年に愛知県美術館に収蔵された《人生は戦いなり(黄金の騎士)》(1903年)は、日本の公立美術館で初めて収蔵されたクリムトの絵画作品です。トヨタ自動車の寄付金により約17.7億円で購入 |
No.96糸杉と星の見える道
| 商品番号 | 96 |
|---|---|
| 作品名 | 糸杉と星の見える道 |
| 原画情報 | 1890年 クレラー・ミュラー美術館 |
| 作品紹介 | 『糸杉と星の見える道』(いとすぎとほしのみえるみち、オランダ語:Cypres bij sterrennacht)は、オランダのポスト印象派の画家フィンセント・ファン・ゴッホが1890年に描いた油絵である。フランスのサン=レミ=ド=プロヴァンスでゴッホが描いた作品の中では最後のものである。 経緯 ゴッホ自身がテーマの類似性を指摘したゴーギャン作『オリーブ山のキリスト』 この作品は1890年5月に描かれた。ゴッホは弟のテオドルスに宛てた手紙の中で、「いつも糸杉に心惹かれている。」と述べ、その「美しいライン」はエジプトのオベリスクのように調和がとれていると語った。ゴッホはフランスのアルルに滞在していた1888年から夜の糸杉を描くことを考えていたという。 シカゴ大学のKathleen Powers Ericksonは、大きく描かれた糸杉と道は『天路歴程』からの影響を受けたものと指摘する。ゴッホはこの作品以外にも糸杉を主題に扱ったいくつかの作品を描いており、それらの多くにはこの作品のようにキャンバスの上端を超える大きな糸杉が描かれている。作品を描き終えた後オーヴェル=シュル=オワーズに移った1890年6月にゴッホが友人であり同じく画家であるポール・ゴーギャンに宛てた手紙の中で、この作品はゴーギャン作『オリーブ山のキリスト』(1889年)と同じく、苦悩と不屈をテーマとしたものと語っている。 夜空の様子は、水星と金星が天文合によってシリウスに匹敵する輝きを放った、1890年4月20日の影響とも言われている。 分析 Kathleen Powers Ericksonは、1889年に描かれた『星月夜』よりも、この作品はさらにゴッホが自らの死期が近いと自覚していることを反映していると指摘する |
No.94雨雲のあるオヴェールの野
| 商品番号 | 94 |
|---|---|
| 作品名 | 雨雲のあるオヴェールの野 |
| 作品紹介 | オヴェールはゴッホが自らの命を絶った終焉の地。 ゴッホがこの土地に居たのはたったの2ヶ月ですが、この短い期間に70点もの作品を紡ぎ出しています。パリ郊外の田舎でも都会でもない、緑に囲まれた風景はゴッホの心を癒すことが少しでもあったに違いありません。 |
No.92ルーヴシエンヌのヴェルサイユ街道(雪の効果)
| 商品番号 | 92 |
|---|---|
| 作品名 | ルーヴシエンヌのヴェルサイユ街道(雪の効果) |
| 原画情報 | 1869年 46.3×38.4cm メアリーランド美術学校(ボルティモア) |
| 作品紹介 | この作品に描かれているルーヴシエンヌはパリのセーヌ川流域の街で西郊約25キロのところにある当時静かな村。ピサロハは1868年秋にボントワーズからここルーヴシエンヌに移り普仏戦争が始まる1870年までとその後1871年から74年の間ここに生活したと言われている。 |
No.91死の床のカミーユ・モネ
| 商品番号 | 91 |
|---|---|
| 作品名 | 死の床のカミーユ・モネ |
| 原画情報 | 1879年 90×68cm オルセー美術館(パリ) |
| 作品紹介 | 本作に描かれるのは1867年に未婚のままモネとの間に長男を出産し、1870年にようやく結婚した画家の妻カミーユ・モネ(旧姓カミーユ・ドンシュー)であるが、その姿は死を迎えた状態にある。 |
No.90ポントワーズ、エルミタージュの坂道
| 商品番号 | 90 |
|---|---|
| 作品名 | ポントワーズ、エルミタージュの坂道 |
| 原画情報 | 1875年 原画サイズ(65×54cm) 所蔵:ブルックリン美術館(ニューヨーク) |
| 作品紹介 | この作品が描かれたのは、パリの北西郊外に位置するポントワーズ。ここでピサロは、農村の風景や人物を多く描いた。 |
No.88オーヴェール協会
| 商品番号 | 88 |
|---|---|
| 作品名 | オーヴェール協会 |
| 原画情報 | オーヴェール協会 |
| 作品紹介 | 12世紀に建てられた教会だが、ゴッホの絵の原型をいまだとどめている。 1924年、佐伯祐三同教会を描いた作品。当時、オーヴェール・シュル ・オワーズにはヴラマンクの家があった。 佐伯はヴラマンクに喝を入れられた翌日、里見勝蔵とガシェ医師宅を訪問。 ゴッホの絵を20点ほど見、そのなかで感銘を受けた教会の絵を自分でも 描いてみた。 |
No.87ぶらんこ
| 商品番号 | 87 |
|---|---|
| 作品名 | ぶらんこ |
| 原画情報 | 1876年 原画サイズ(92×73cm) 所蔵:オルセー美術館(フランス) |
| 作品紹介 | 本作でルノワールは木々の間から射し込み移ろう斑点状の木漏れ日の作用による光の変化や、補色的・対称的・相乗的な色彩描写の効果を追求しており、特に画面全体を覆う大きめの斑点状のやや荒いタッチによる光の効果的な描写は、今でこそ理解され観る者を強く魅了するものの、当時は類の無い表現手法から酷い悪評に晒された。この点描表現の先駆とも言える独特の表現は、当時ルノワールが追い求めていた(所謂正統的印象主義)表現の典型例のひとつである。 |
No.85ラ・グルヌイエールにて
| 商品番号 | 85 |
|---|---|
| 作品名 | ラ・グルヌイエールにて |
| 原画情報 | 1869年 66×86cm ストックホルム国立美術館 |
| 作品紹介 | 本作に描かれるのは実業家スーランが興した、パリに程近いブージヴァル近郊セーヌ河畔の新興行楽地であった水上のカフェのある水浴場≪ラ・グルヌイエール≫で、1869年夏に友人であるクロード・モネと共に同地へ赴き、画架を並べ描いた作品としても広く知られている。「蛙の棲み処」という意味をもつラ・グルヌイエールの中央には、「植木鉢(又はカマンベール)」と呼ばれた人工の島があり、本作にもその島に集う人々が描かれている。 |
No.84陰謀
| 商品番号 | 84 |
|---|---|
| 作品名 | 陰謀 |
| 原画情報 | 1890年、90×150cm、アントワープ王立美術館 |
| 作品紹介 | ジェームズ・アンソール 1860年、ベルギーのオステンド生まれ。ルネ・マグリットやポール・デルヴォーと並び、ベルギー近代絵画を代表する画家。伝統的なフランドル絵画やフランス印象主義の影響を受けた斬新な画風は、後の表現主義やシュールレアリスムを予感させ「20世紀美術の先駆者」として評価が高い。地元オステンドのカーニバルを想起させる仮面や怪物、骸骨などを好んで描き、「仮面の画家」とも呼ばれる。1949年没。 |
No.83カラスのいる小麦畑
| 商品番号 | 83 |
|---|---|
| 作品名 | カラスのいる小麦畑 |
| 原画情報 | 1890年 原画サイズ(103×50.5cm) 所蔵:ゴッホ美術館 |
| 作品紹介 | ゴッホの最晩年に描かれた作品のひとつである。日本語では「カラスの群れ飛ぶ麦畑」、「黒い鳥のいる麦畑」などのタイトルが付されている。 比較的広く知られる本作は、俗に、ゴッホの絶筆の作品であるとの誤認がなされることが多い。 しかしゴッホが死去したのは1890年7月の29日であり、同月10日頃の弟テオ宛の手紙にこの絵と思われる作品に関する記述があることから実際には7月上旬に描かれたと推定されている。(後述#同時期の作品も参照)したがってこの絵を「最後」の作品とするには無理がある。一方「絶筆」の記述が最初に出始めたのは1908年、ミュンヘンのモデルネ・クンストハンドブルク画廊などを巡回したファン・ゴッホ展のカタログで、この絵に当時は「雷雨」のタイトルが付けられ、「巨匠最後の作品」と付記されていた。 |
No.82ヴェルノンの教会の眺め
| 商品番号 | 82 |
|---|---|
| 作品名 | ヴェルノンの教会の眺め |
| 原画情報 | モネ【ヴェルノンの教会の眺め】 1883年 所蔵:山形美術館 |
| 作品紹介 | この作品は、フランス北部のヴェルノンの教会を描いたもの。ヴェルノンの風景はモネはいくつか描いている。 |
No.81睡蓮
| 商品番号 | 81 |
|---|---|
| 作品名 | 睡蓮 |
| 作品紹介 | 印象派最大の巨匠のひとりクロード・モネが晩年期に手がけた最も有名な連作『睡蓮』。第一次大戦(1914-1918年)中に描かれた本作は、画家が1683年から借家で住み始め、1690年には買い取ったジュヴェルニーの自宅兼アトリエに造園した名高い庭園の池に浮かぶ睡蓮を連作的に描いた作品であるが、画家らしい移ろう水面やそこに反射する陽光の表現、色鮮やかな睡蓮や揺らめく水草の印象的な描写は、正にモネの『睡蓮』の名に相応しい素晴らしい出来栄えである。本作はモネと親交のあった松方幸次郎が、1916年から1923年にかけて日本の若い画家のために本物の西洋絵画を求め収集されたコレクション(松方コレクションと呼ばれる)の中の一枚で、1899年からモネは庭園の他のモティーフと共に『睡蓮』の連作を描き始めたことが知られているが、1910年代初頭には『睡蓮』のみの描写・表現に没頭していく。その中でも本作の水面に揺蕩う睡蓮の色彩、特に睡蓮の蕾に用いられた鮮やかな赤色や黄色や、強く筆跡が残された淡紅色や真紅などの暖色は、池の深淵な蒼色と互いに引き立て合い、美しさや刻々と変化する水面の動きや時間だけでなく、観る者に神秘的な印象すら与える。 |
No.80ドービル、旗で飾られた港の船
| 商品番号 | 80 |
|---|---|
| 作品名 | ドービル、旗で飾られた港の船 |
| 原画情報 | 1896年 原画サイズ(41.1×32.4cm) 所蔵:フィラデルフィア美術館 |
| 作品紹介 | 1824年フランス生まれ、印象派の風景画家であるウジェーヌ・ブーダン。この作品の舞台であるドービルという地は、今ではフランスノルマンディ地方の海水浴場として知られている海辺の街である。 |
No.79睡蓮
| 商品番号 | 79 |
|---|---|
| 作品名 | 睡蓮 |
| 作品紹介 | 印象派最大の巨匠のひとりクロード・モネが晩年期に手がけた最も有名な連作『睡蓮』。第一次大戦(1914-1918年)中に描かれた本作は、画家が1683年から借家で住み始め、1690年には買い取ったジュヴェルニーの自宅兼アトリエに造園した名高い庭園の池に浮かぶ睡蓮を連作的に描いた作品であるが、画家らしい移ろう水面やそこに反射する陽光の表現、色鮮やかな睡蓮や揺らめく水草の印象的な描写は、正にモネの『睡蓮』の名に相応しい素晴らしい出来栄えである。本作はモネと親交のあった松方幸次郎が、1916年から1923年にかけて日本の若い画家のために本物の西洋絵画を求め収集されたコレクション(松方コレクションと呼ばれる)の中の一枚で、1899年からモネは庭園の他のモティーフと共に『睡蓮』の連作を描き始めたことが知られているが、1910年代初頭には『睡蓮』のみの描写・表現に没頭していく。その中でも本作の水面に揺蕩う睡蓮の色彩、特に睡蓮の蕾に用いられた鮮やかな赤色や黄色や、強く筆跡が残された淡紅色や真紅などの暖色は、池の深淵な蒼色と互いに引き立て合い、美しさや刻々と変化する水面の動きや時間だけでなく、観る者に神秘的な印象すら与える。 |
No.78果樹園
| 商品番号 | 78 |
|---|---|
| 作品名 | 果樹園 |
| 作品紹介 | 都会のパリに疲れたゴッホは、太陽と安らぎを求め、1888年南フランスのアルルという田舎町へ移住。この作品はそのときに描かれたもの。この頃のゴッホは果樹園を題材にした絵をたくさん描いている。 |
No.73積みわら~日没~
| 商品番号 | 73 |
|---|---|
| 作品名 | 積みわら~日没~ |
| 作品紹介 | モネは1888年頃からこの「積みわら」を30点以上もの連作で描き続けている。モネは生涯にわたって、光の及ぼす効果と色彩の変化を追及したが、この作品にもそれが表れており、朝、昼、夕、夜と刻々と変化する光を追い続け描いた作品です。 |
No.72積みわら~夕陽~
| 商品番号 | 72 |
|---|---|
| 作品名 | 積みわら~夕陽~ |
| 作品紹介 | モネは1888年頃からこの「積みわら」を30点以上もの連作で描き続けている。モネは生涯にわたって、光の及ぼす効果と色彩の変化を追及したが、この作品にもそれが表れており、朝、昼、夕、夜と刻々と変化する光を追い続け描いた作品です。 |
No.70モンジュロンの庭
| 商品番号 | 70 |
|---|---|
| 作品名 | モンジュロンの庭 |
| 作品紹介 | モネの才能を認めたオシュデ夫妻により、モネはこのフランスのモンジュロンの屋敷・ロッタンブール館の装飾を依頼される。1876年、モネは一時この屋敷に滞在して、大きな居間を飾る4点の装飾画を制作した。この作品は、そのときに描かれたもの。 |
人物32件
No.110猫を抱く少女
| 商品番号 | 110 |
|---|---|
| 作品名 | 猫を抱く少女 |
| 原画情報 | 1887年 油彩/カンヴァス 65.5 × 53.5 cm オルセー美術館 |
| 作品紹介 | ルノワールと親交の深かった印象派の女流画家ベルト・モリゾの娘を描いた作品です。はにかむような少女と、可愛い猫の表情がやさしい雰囲気を醸し出しています。 |
No.106ほつれ髪の女
| 商品番号 | 106 |
|---|---|
| 作品名 | ほつれ髪の女 |
| 原画情報 | 1506-08年頃 パルマ国立美術館蔵 縦 24.7cm、横21cm ポプラ板 |
| 作品紹介 | 万能の天才と呼ばれた画家レオナルド・ダ・ヴィンチ。言わずと知れたルネサンスの巨匠です。今回ご紹介するのは、そんなレオナルド・ダ・ヴィンチの傑作『ほつれ髪の女』。縦24.7cm、横21cmの小さなポプラ板に描かれた女性像です。描かれているのは、わずかに首を傾け佇む伏し目がちの女性。その慈しみに満ちたまなざしは、細部の陰影にいたるまで完璧に描かれています。鉛白と数種類の顔料だけで描き出されたきめ細やかな肌。立体感ある柔らかな唇。まさに神業のような筆さばきです。それに対し、髪は軽い筆使いで即興的に描かれ、顔に比べてあまりにも無造作。そう、この絵は未完成なのです。さらに、この絵には大きな特徴があります。それは女性の目線。『モナ・リザ』を始めとする彼が描いた他の女性像は目線をこちらに向けているのに対し、この絵の中の女性は目線を伏せているのです。 |
No.105麦わら帽子(シュザンヌ・フールマンの肖像)
| 商品番号 | 105 |
|---|---|
| 作品名 | 麦わら帽子(シュザンヌ・フールマンの肖像) |
| 原画情報 | 1622年頃 79×54.5cm ロンドン・ナショナル・ギャラリー |
| 作品紹介 | ルーベンスの最も良く知られる代表的な肖像作品『麦わら帽子(シュザンヌ・フールマンの肖像)』。本作はルーベンスが最初の妻イザベラ・ブラントと死別した数十年後に再婚した、二番目の妻エレーヌ・フールマンの姉であるシュザンヌ・フールマンを描いたもので、本来はフェルト帽を被っているのであるが、18世紀末より≪麦わら帽子≫との愛称で呼ばれてきた。 |
No.104ヴェールを被る婦人の肖像
| 商品番号 | 104 |
|---|---|
| 作品名 | ヴェールを被る婦人の肖像 |
| 原画情報 | 1516年頃 85×64cm ピッティ美術館(フィレンツェ) |
| 作品紹介 | 通称ラ・ヴェラータ。モデルはパン屋の娘でフォルナリーナ(パン屋の娘の意)と呼ばれる。ラファエロはこの女性と密かな恋愛関係にあった。 ヴェールを被るフォルナリーナの表情は、自分たちが結ばれないことへの悲しみを表しているとされているが、ヴェールの下に見える髪飾りは人妻を意味し、ラファエロは実現しなかったフォルナリーナの婚姻を本作で表現した。また描かれた当初は婚姻の証である指輪がフォルナリーナの指に描かれていたが、本作が一般に公開されることになったことから、画家自身がそれを隠す為、後から絵具を上塗りしたとされている。 |
No.100農民の婚宴
| 商品番号 | 100 |
|---|---|
| 作品名 | 農民の婚宴 |
| 原画情報 | 1568年 114×168cm ウィーン美術史美術館 |
| 作品紹介 | 農家の納屋で開かれている結婚の宴が描かれています。 長いテーブルの上には塩漬けの肉らしき御馳走があり、ビールも振る舞われています。背後には、壁のような穀物の山に、収穫祝いの象徴である2本の麦の束が飾られています。そして緑の幕に紙の冠が吊るされています。これは、当時の結婚の風習だと言われています。その下には、ふっくらとした花嫁が頬を染めて座っています。バグパイプの楽士たちの音楽と美味しそうな匂いに釣られて納屋の入り口には村人たちが押しかけています。 ブリューゲルは、農民の真の姿を描いた初めての画家でもありました。今日の一枚にも当時の風習が正確に描かれています。しかし、この絵には肝心の花婿の姿が描かれていないのです。 |
No.99小さな泥棒
| 商品番号 | 99 |
|---|---|
| 作品名 | 小さな泥棒 |
| 作品紹介 | ブグローは、甘美的に美しく描いた少女の肖像画を多く残していますが、この作品もそのうちのひとつで、大地でとれたお花で可愛らしく髪を飾る様子が可愛らしく描かれています。 |
No.98医師
| 商品番号 | 98 |
|---|---|
| 作品名 | 医師 |
| 作品紹介 | 英国の画家Sir Samuel Luke Fildesの1891年の作.重症で気息奄々とする幼い娘が椅子に横たわり,傍らには悲嘆にくれて食卓に突っ伏す母と呆然と立ちすくむ父がいて,窓からうっすらと明け方の光が差し始めているが室内はなお暗い.往診に訪れている初老の医師は厳しい表情で娘をみつめて体をかがめ,そこで夜を徹したようにみえる.この絵は画家自身の思い出を描いたものだそうで,二人いた子どもがともに肺炎になり,息子は既に落命し,娘もあわやというところに往診にかけつけた医師の姿を描いたものらしい. 十九世紀末の英国ではこの絵の複製が医師にたいそう人気を呼び,方々の病院の壁に飾られたという.実物はLondonの現Tate Britain(旧称Tate gallery)のラファエル前派の絵をたくさん掲げている部屋にあるが,案に相違して3m×2mくらいの非常に大きな絵で,画面は画集でみるより遥かに暗く,周囲にかかる他の世紀末絵画の華やいだ洗練とは好対照であった. |
No.97ヴァージナルの前に座る女性
| 商品番号 | 97 |
|---|---|
| 作品名 | ヴァージナルの前に座る女性 |
| 原画情報 | 1670年 – 1672年頃 51.5 cm × 45.5 cm 所蔵:ナショナル・ギャラリー(ロンドン) |
| 作品紹介 | 『ヴァージナルの前に座る女』(ヴァージナルのまえにすわるおんな、蘭: Zittende virginaalspeelster、英: Lady Seated at a Virginal)は、オランダ黄金時代の画家ヨハネス・フェルメールが1670年から1672年ごろに描いた絵画。キャンバスに油彩で描かれた作品で、ロンドンのナショナル・ギャラリーが所蔵している。 ヴァージナルを演奏する左向きに座る女性が描かれた作品である。前景左には弦に弓が差し込まれたヴィオラ・ダ・ガンバが置かれている。ヴァージナルの蓋の内側には風景画が装飾として描かれており、壁にはフェルメールの義母が所有していた、ディルク・ファン・バビューレンの『取り持ち女』のオリジナル、あるいは模写がかけられている。『取り持ち女』がどのような意図でこの作品の背景に描かれているのかは分かっていないが、「おそらく音楽と性愛との一般的な関係性を意味している」のではないかと考えられている。画面左上部にはこの場面を区切る役割のタペストリがあり、画面右下の壁が床に接する部分はデルフト陶器のタイルで装飾されている。 『ヴァージナルの前に座る女』はその作風から、1670年ごろに描かれたとされる。同じくナショナル・ギャラリーが所蔵する『ヴァージナルの前に立つ女』と対になる作品ではないかと考えられている。制作年度、作品の大きさがほぼ同じで、描かれているモチーフも似通っていることがその理由だが、19世紀までの両作品がたどった来歴はまったく異なっている。フェルメールは同じような主題を、まったく関連性のない別の作品に描くこともあった。19世紀になってから、両作品ともにフランス人美術史家テオフィル・トレ=ビュルガー (en:Théophile Thoré-Bürger) が所有していた。トレ=ビュルガーは、1866年にフェルメールに関する著作を出版し、フェルメール作品の再評価に大きな貢献をした人物である。その後、イギリス人美術品収集家ジョージ・ソルティングが『ヴァージナルの前に座る女』を所有していたが、1910年にナショナル・ギャラリーに遺贈された 。 |
No.96希望 II
| 商品番号 | 96 |
|---|---|
| 作品名 | 希望 II |
| 原画情報 | 1907-08年 110×110cm ニューヨーク近代美術館 |
| 作品紹介 | オーストリア最大の画家のひとりグスタフ・クリムトの母性を感じさせる代表作『希望 II』。本作は1903年にクリムトが手がけた『希望 I』同様、妊婦の姿を描いた作品であるが、『希望 I』と比較し、より装飾的で、より平面化して表現されているのが大きな特徴である。本作に描かれる妊婦の姿は、穏やかな表情を浮かべ、自身の身体に宿った小さな、しかし確実な生命を慈しむかのように俯きながら腹部へと視線が向けられている。生命を宿す腹部は『希望 I』とは異なり、円と三角によって構成し、そして赤色、青色、黄色、緑色、黒色などで彩られた極めてクリムトらしい装飾的な衣服で隠されており、観る者にある種の安心感を与えているが、そのすぐ傍には≪死≫を暗示する骸骨が描かれている。また妊婦の足下には複数の若い女性が描かれており、この解釈については諸説唱えられているが、一般的には妊婦に対する妊娠未経験(処女)者たちの願いや祈りとされている。生命の神秘そのものを表現したかのような無限性を感じさせる、金色単色での背景の平面的で宇宙的な空間表現は、クリムトが高く評価していた、17-18世紀に京都や江戸で活躍した絵師尾形光琳を始めとした琳派の影響が指摘されている。本作では『希望 I』に示されたようなあからさまな攻撃性や病的とも受け取れる表現は影を潜めており、その内包的で保身的な表現は一部の賛同者たちからは「伝統への回帰」と批判も受けた。 |
No.95花嫁の付添い
| 商品番号 | 95 |
|---|---|
| 作品名 | 花嫁の付添い |
| 原画情報 | ジョン・エヴァレット・ミレイ 「花嫁の付き添い」 1851年 |
| 作品紹介 | この絵画は花嫁の付き添いがウェディングケーキのかけらを結婚指輪に9回通すと、未来の恋人の幻が現れるという迷信を絵画化したものです。女性の胸に留められている白い花はオレンジの花で純潔の象徴です。またオレンジはテーブルの皿にもあり、ラファエル前派の絵画に多く見られる豊な髪にもオレンジと同じ色が使われています。 モデルはマクドエルという女性。1851年の1月15日に完成しました。 |
No.93マリー・フランツィスカ・リヒテンシュタイン侯女2 歳の肖像
| 商品番号 | 93 |
|---|---|
| 作品名 | マリー・フランツィスカ・リヒテンシュタイン侯女2 歳の肖像 |
| 原画情報 | 1836年 33×27cm |
| 作品紹介 | オーストリアのビーダーマイヤーを代表する画家アメリングは、アロイス2世侯(在位1836-1858年)の注文により、侯爵家の子供たちの肖像画を描きました。なかでも本作は、その愛らしさによってひときわ強い印象を放つ作品です。眠る幼い候女の無防備なあどけなさに、見る者は図らずも心を打たれます。ビーダーマイヤーの画家たちは、心の琴線にそっと触れるような、細やかにして甘美な表現を追求しました。 |
No.92朝食をとるロートレック伯爵
| 商品番号 | 92 |
|---|---|
| 作品名 | 朝食をとるロートレック伯爵 |
| 原画情報 | 1883, アルビ、トゥルーズ=ロートレック美術館 |
| 作品紹介 | モンマルトル界隈に画家として住み始めると、ロートレックはほとんど勘当同然の状態だったよう。 しかし、母親とは親密で、ロートレックを最後まであたたく見守った。 「私たちの未来のミケランジェロ」と書いた手紙もある。 このころの画風は印象派やマネの影響が強い。 |
No.91ポール・ギヨームの肖像2
| 商品番号 | 91 |
|---|---|
| 作品名 | ポール・ギヨームの肖像2 |
| 原画情報 | 1915年 オランジュリー美術館蔵 |
| 作品紹介 | この作品に描かれているポール・ギヨームは有名な画商で、モディリアーニが絵画に専念し始めたのは、このポール・ギヨームと知り合い、彼や友人のマックス・ジャコブの勧めもあって1915年頃からであるとされている。 |
No.89ダイヤのエースを持ついかさま師
| 商品番号 | 89 |
|---|---|
| 作品名 | ダイヤのエースを持ついかさま師 |
| 原画情報 | 1635-1638年頃 106×146cm ルーヴル美術館(パリ) |
| 作品紹介 | 古典主義の巨匠ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの最も著名な作品のひとつ『いかさま師(ダイヤのAを持った)』。本作に描かれる主題は、巨匠カラヴァッジョが最初に描いたとされる『いかさま師』であり、おそらく『いかさま師(クラブのAを持った)』の数年後に同主題、同構図で本作を描いたと推測される。 |
No.62抱擁
| 商品番号 | 62 |
|---|---|
| 作品名 | 抱擁 |
| 原画情報 | 1905-09年 194×111cm オーストリア工芸美術館(ウィーン) |
| 作品紹介 | 1862年、オーストリア生まれの象徴主義であるグスタフ・クリムト。彼の作品の特徴としては、煌びやかな金色を多用したり、妖艶な女性を描いたものが多い。クリムトの代表作であるこの作品。金、銀、宝石を見事に描き、豪華さ溢れる作品です。 |
No.87アテナイの学堂
| 商品番号 | 87 |
|---|---|
| 作品名 | アテナイの学堂 |
| 原画情報 | 作者 ラファエッロ・サンティオ 制作年 1509年 – 1510年 素材 フレスコ 寸法 500 cm × 700 cm (200 in × 280 in) 所蔵 バチカン宮殿(バチカン市国) |
| 作品紹介 | アテナイの学堂(アテナイのがくどう、伊: Scuola di Atene, 英: The School of Athens)はルネサンス期イタリアの画家ラファエロ・サンティのもっとも有名な絵画の一つである。描かれたのは、ローマ教皇ユリウス2世に仕えた1509年と1510年の間である。バチカン教皇庁の中の、現在ラファエロの間と呼ばれる4つの部屋の壁をフレスコ画で飾ることになって、ラファエロはまず署名の間と呼ばれる部屋から着手することにした。そして、最初に『聖体の論議』を仕上げてから、2番目に手がけたのがこの『アテナイの学堂』である。その絵は、長きにわたってラファエロの最高傑作とみられてきた。盛期ルネサンスの古典的精神を見事に具現化したものと言えよう。 この絵に描かれている人々は有名な古代ギリシアの哲学者たちである。研究者たちは、ギリシアの学者(哲学者・科学者)のほとんどをこの絵の中で見つけることができるはずだと言い続けてきた。しかし、ラファエロははっきりと誰を描いたと言っていなかったので、絵の中に描かれている人物が誰か、正確に言い当てることははなはだ難しい。それを説明する同時代の記録も存在していない。さらに問題を悪化させるのは、ラファエロは、絵の中の哲学者・科学者が誰なのかを読み解いてもらうための全員分の仕掛け(図像学)を作っていたはずだが、それを記録として残していなかったことだ。とはいっても、絵の中に誰を描くかの選択をするのに、多くの人の承認が要ったはずと思われる。 舞台設定 :学堂はギリシャ十字(縦横が等しい十字)の形の中にあり、キリスト教神学と非=キリスト教のギリシア哲学との調和を意図したものと思われる。その建築様式はドナト・ブラマンテに触発されたもので、ジョルジョ・ヴァザーリは、ブラマンテは実際にこの絵を手伝ったと言っている。研究者の中には、学堂そのものがサン・ピエトロ大聖堂の正面からの景観になるように意図されていたという人もいる。後ろの方に2つの彫像があり、向かって左は竪琴を持ったギリシアの神アポローンで、医、治癒、光、真実、弓矢、音楽の神である。一方右側にいるのは、やはりギリシアの女神アテーナーだが、ローマの女神ミネルウァの恰好をしている。アテーナーは知恵の女神である。 登場人物 :プラトン、アリストテレスなど、絵のなかの哲学者の何人かの身元は異論のないところだが、その他大勢の人物については研究者の間で意見が食い違っている。以下に示すのは、そのうちの一つ、Michael Lahanasの推理である。 |
No.86音楽
| 商品番号 | 86 |
|---|---|
| 作品名 | 音楽 |
| 原画情報 | 1895年 33×44.5cm ノイエ・ピナコテーク |
| 作品紹介 | 1862年、オーストリア生まれの象徴主義であるグスタフ・クリムト。彼の作品の特徴としては、煌びやかな金色を多用したり、妖艶な女性を描いたものが多い。この作品は、「音楽室に飾るもの」として注文を受け制作されたもの。 |
No.84扉を背にしたジャンヌ・エビュテルヌの肖像
| 商品番号 | 84 |
|---|---|
| 作品名 | 扉を背にしたジャンヌ・エビュテルヌの肖像 |
| 原画情報 | 1919年 130×81cm 個人所蔵(L.A) |
| 作品紹介 | 1884年、イタリア生まれの20世紀初頭に活動したパリ派の画家・彫刻家アメデオ・モディリアーニ。この作品に描かれているのは、妻ジャンヌ・エビュテルヌである。彼女は、モディリアーニが、肺結核が悪化し35歳で亡くなったとき、子供を身ごもったまま21歳の若さで後追い自殺をした。 |
No.83大地の宝
| 商品番号 | 83 |
|---|---|
| 作品名 | 大地の宝 |
| 作品紹介 | ブグローは、甘美的に美しく描いた少女の肖像画を多く残していますが、この作品もそのうちのひとつで、大地でとれたお花で可愛らしく髪を飾る様子が可愛らしく描かれています。 |
No.81ディア・バード
| 商品番号 | 81 |
|---|---|
| 作品名 | ディア・バード |
| 作品紹介 | ブグローは、甘美的に美しく描いた少女の肖像画を多く残していますが、この作品もそのうちのひとつで、少女の笑った表情がとても可愛らしい表情です。 |
静物31件
No.32南仏の果物
| 商品番号 | 32 |
|---|---|
| 作品名 | 南仏の果物 |
| 原画情報 | 1881年 原画サイズ(65.3×50.7) 所蔵:シカゴ美術研究所 |
| 作品紹介 | この作品は、ルノアール独特な女性的なタッチではなく、しっかりとした筆遣いで描かれているのが特徴。 |
No.30青い花瓶
| 商品番号 | 30 |
|---|---|
| 作品名 | 青い花瓶 |
| 作品紹介 | セザンヌは静物画の分野でいち早く自分の様式を確立しました。風景画や人物画に比べると、静物画は対象を自由に構成することができ、納得がゆく表現の追究ができるからでしょう。セザンヌの静物画は果物と花が別々に制作されることが多いから、一緒に描かれたこの作品は数少ない作例の一つです。輪郭線がずれ、物の形も歪んでいます。しかし、画面を支配する青の色調が叙情的な美しさを生み出しているようです。その中で赤・白・緑の色調が印象的です。 |
No.28頭蓋骨のピラミッド
| 商品番号 | 28 |
|---|---|
| 作品名 | 頭蓋骨のピラミッド |
| 原画情報 | 1901年 37 x 45.5 cm |
| 作品紹介 | セザンヌが頭蓋骨を描いた作品において、最も注目すべきは、≪メメント・モリ≫の古典的な教訓性を排した、死の象徴性そのものへの絵画的言及と、美術的絵画価値としての意図にある。頭蓋骨は古くからヴァニタス画の主画題として用いられたモチーフで、本作にもセザンヌの過去の巨匠たちによるヴァニタス画への意識を見出すことができ、また大きな特徴である、視覚的感覚や認知性を意識した構図、構成など絵画作品の価値に対する意図が込められている。 |
No.22デルフトの花瓶に活けられたダリア
| 商品番号 | 22 |
|---|---|
| 作品名 | デルフトの花瓶に活けられたダリア |
| 作品紹介 | 1839年、フランス生まれの印象派ポール・セザンヌ。印象派の画家でありながら、「近代絵画の父」と呼ばれている彼は、静物画を得意とし、独自の技法でたくさんの静物画を描いた。この作品もそのうちのひとつ。 |
No.21花瓶の花2
| 商品番号 | 21 |
|---|---|
| 作品名 | 花瓶の花2 |
| 作品紹介 | 「花を描いたら右に出る画家はいない」と賞賛されるほどのルノワールは、生涯を通して花を描き続けました。この作品は、ルノワールが「花」を描いたシリーズのうちのひとつ。 |
No.20壺の上に林檎が載って在る
| 商品番号 | 20 |
|---|---|
| 作品名 | 壺の上に林檎が載って在る |
| 原画情報 | 1916年 40.0×29.5cm 東京近代美術館 |
| 作品紹介 | 日本において静物画は、明治 44(1911)年の高村光太郎による論文「静物画の新意義」 の発表以降、画家の自己表現にふさわしい分野として追求されるようになった。大正 5(1916)年から連続して描かれた岸田劉生の静物画は、そのような大正期静物画の代 表的存在として知られている。 《壺の上に林檎が載って在る》には《壺》(大正 5 年 4 月)に描かれたのと同じ器物 が描かれるが、その把手は欠損している。また岸田の静物画に描かれる林檎は、後期 印象派の受容や「生命主義」によって促された色鮮やかな林檎とは異なる印象を見る 者に与えたが、ほぼ均質な色と形を持つそれは、対象の個別的特徴にあくまで肉薄し ようとする「草土社風」静物画における林檎との差異をも示す図像であると考えられ る。 左上に署名; 右上に年記 3回草土社展(「壺の上に林橘が乗って在る」)(東京、赤坂溜池三会堂 1916) |
No.18花束
| 商品番号 | 18 |
|---|---|
| 作品名 | 花束 |
| 作品紹介 | ルドンは青年時代コローと知り合い、自然への愛情に感動するが、印象主義には批判的で、色彩を使わない―彼自身「黒い作品」と呼ぶ版画に没頭します。1890年頃から油絵やパステル画を描くようになり、詩人マラルメや音楽家ショーソンらに高く評価されます。花や人物や神話的世界をテーマにした作品は、明るく華麗な美しさと神秘的幻想的な妖しさに満ち、シュールレアリスムへの道を準備しました。彼の絵の内面性を示す『私語録』が死後発見されました。 |
No.16花瓶の花
| 商品番号 | 16 |
|---|---|
| 作品名 | 花瓶の花 |
| 作品紹介 | 「花を描いたら右に出る画家はいない」と賞賛されるほどのルノワールは、生涯を通して花を描き続けました。この作品は、ルノワールが「花」を描いたシリーズのうちのひとつ。 |
No.15花瓶のアイリス
| 商品番号 | 15 |
|---|---|
| 作品名 | 花瓶のアイリス |
| 原画情報 | 1890年 92×73.5cm ファン・ゴッホ美術館 |
| 作品紹介 | 本作は神経発作の治療で滞在していたサン・レミでの苦悩と退屈の生活から脱する為に1890年5月に友人であり精神科医でものあったポール・ガシュの居るオーヴェールへと出発するゴッホが、その数週間前に制作した静物画作品である。 |
No.13豆腐
| 商品番号 | 13 |
|---|---|
| 作品名 | 豆腐 |
| 原画情報 | 1876年 原画サイズ(45.3×32.5cm) 所蔵:金刀比羅宮博物館 |
| 作品紹介 | 古びたまな板の上に右から、豆腐、焼き豆腐2丁、油揚げ2枚が無造作に載せられただけの作品だが、どれもが圧倒的な存在感で迫ってくる。この絵を見たものは異口同音に口にする。「本物の豆腐以上に本物らしい」と。だが、静物画ならばもっと良さそうな題材が幾らでもありそうなのに、なぜ由一は豆腐を描いたのだろうか。 当時の日本人で油絵を見たことのある者など殆どいなかった。その人達にも親しみを持ってもらい、洋画を少しでも広めたい。そんな願いを込めて由一は絵を描いた。そのためには誰もが知っている題材が必要であり、洋画の題材としては変わっているが庶民的な存在である豆腐をモチーフに選んだのだ。 彼の油絵の多くに、日本のどの家庭にもありそうな、生活に密着した素材が使われた。 |
No.12春のブーケ
| 商品番号 | 12 |
|---|---|
| 作品名 | 春のブーケ |
| 原画情報 | 101×79cm 1866年 フォッグ美術館 |
| 作品紹介 | 19世紀の印象派の代表画家として有名なルノアール。「花を描いたら右に出る画家はいない」と賞賛されるほどの彼は、生涯を通して花を描き続けました。この作品は、ルノワールが「花」を描いたシリーズのうちのひとつ。 |
No.11薔薇とユリ
| 商品番号 | 11 |
|---|---|
| 作品名 | 薔薇とユリ |
| 原画情報 | 1888年 原画サイズ(59.7×45.7cm) 所蔵:メトロポリタン美術館 |
| 作品紹介 | 1836年フランス生まれのアンリ・ファンタン=ラトゥール。彼は、「花の画家」として有名であり、数多くの花の絵を描いている。この作品も花を描いた作品のうちの1作品。 |
No.10りんごとナプキン
| 商品番号 | 10 |
|---|---|
| 作品名 | りんごとナプキン |
| 原画情報 | 1879-80年 49.2×60.3cm 所蔵:損保ジャパン東郷青児美術館 |
| 作品紹介 | 静物はセザンヌにとり、最も重要な主題の1つでした。 机の上のりんご、ナプキンの窪み、セザンヌは描きたいと思う題材を自らの手で、理想的に配置し、 構成することができました。 背景の木の葉模様は壁紙で、この壁紙のある静物画のグループは1879~80年の制作とされます。 |
No.9ばら
| 商品番号 | 9 |
|---|---|
| 作品名 | ばら |
| 作品紹介 | 「花を描いたら右に出る画家はいない」と賞賛されるほどのルノワールは、生涯を通して花を描き続けました。この作品は、ルノワールが「花」を描いたシリーズのうちのひとつ。 |
No.8花瓶のばら
| 商品番号 | 8 |
|---|---|
| 作品名 | 花瓶のばら |
| 原画情報 | 1890年 ニューヨーク メトロポリタン美術館 |
| 作品紹介 | ゴッホはアルルからオーヴェールに移りこの村に住んでいたバルビゾン派の画家ドービニーの家に未亡人を訪ねたとき、庭にバラの花が咲き乱れていたと手紙に書いている。オーヴェールに移りすんでから花を描くことが多くなった。 |
No.7日本の花瓶に生けた薔薇とアネモネ
| 商品番号 | 7 |
|---|---|
| 作品名 | 日本の花瓶に生けた薔薇とアネモネ |
| 作品紹介 | 薔薇とアネモネを描いているが、日本の花瓶に生けてある。パリ万博から日本の工芸品が知られるようになり、多くの画家たちが好んで用いていたようだ。 |
動物4件
モダンアート24件
No.24蛇使いの女
| 商品番号 | 24 |
|---|---|
| 作品名 | 蛇使いの女 |
| 原画情報 | 1907年 169×189cm オルセー美術館(パリ) |
| 作品紹介 | この作品は、ルソーが画家のロベール・ドローネーの母親から依頼されて製作したものである。ドローネー夫人はインドへ行ったことがあったので、エキゾチックな主題は彼女にふさわしいものであった。 フランス絵画において蛇使いの絵は珍しいものではないが、ルソーの描くシルエットだけの不気味な人物像は全く目新しい。 |
No.23二つの緑の点
| 商品番号 | 23 |
|---|---|
| 作品名 | 二つの緑の点 |
| 作品紹介 | モネの「積みわら」を見て抽象画の原点がここにあると悟り、画家の道に進むことを決意した。抽象画の先駆者と言われるカンディンスキーが描いた作品がこれ。 |
No.20夢
| 商品番号 | 20 |
|---|---|
| 作品名 | 夢 |
| 原画情報 | 1910年 204.5×298.5cm ニューヨーク近代美術館 |
| 作品紹介 | 本作は国外へ旅行したことがなかったルソーが、想像力と独特の観察眼によって制作した大作であり、1910年にアンデパンダン展(無審査出品制の美術展覧会)へ出品され、多くの批評家らから賞賛を受けた作品である。同展へ出品された際、イタリア出身の詩人ギヨーム・アポリネール(ポーランド人)による次の詩が添えられたことが知られている。「甘美な夢の中のヤドヴィガ、いとも安らかに眠りへと誘われ、蛇使いの吹く笛の音を聴き、その瞑想を深く胸に吸い込む。そして緑燃える木々の波の上では、月影がきらめき、野生の蛇たちは、曲の陽気な調べに耳傾ける」。ヤドヴィガとは画家が数年前に恋焦がれていたポーランド人女性の名前であり、画家自身の言葉によると「このソファーの上で眠る女は森の中に運ばれて、蛇使いの笛の音を聴く夢を見ているのだ。」とソファーに横たわるヤドヴィガについて解説している。本作に描かれる動植物は雑誌や書籍、動・植物園などに何度も足を運び、観察を重ねて描かれたものであるほか、本作ではルソー作品に通ずる緑色を多用した独特の静謐な世界観が画面全体を夢想的に支配しており、本作の不可思議で幻惑的な雰囲気は観る者を強く魅了する。なお本作は画商ヴォラールからニューヨークのジャニス画廊に入り、その後、大富豪ロックフェラー家が所有し、ネルソン・A・ロックフェラーによってMoMA(ニューヨーク近代美術館)へと寄贈された。 |
No.19Autumn in Bavaria
| 商品番号 | 19 |
|---|---|
| 作品名 | Autumn in Bavaria |
| 原画情報 | 1908年 |
| 作品紹介 | モネの「積みわら」を見て抽象画の原点がここにあると悟り、画家の道に進むことを決意した。抽象画の先駆者と言われるカンディンスキーが描いた作品がこれ。 |
No.16Yellow-Red-Blue
| 商品番号 | 16 |
|---|---|
| 作品名 | Yellow-Red-Blue |
| 作品紹介 | モネの「積みわら」を見て抽象画の原点がここにあると悟り、画家の道に進むことを決意した。抽象画の先駆者と言われるカンディンスキーが描いた作品がこれ。 |
No.13Composition VIII
| 商品番号 | 13 |
|---|---|
| 作品名 | Composition VIII |
| 作品紹介 | モネの「積みわら」を見て抽象画の原点がここにあると悟り、画家の道に進むことを決意した。抽象画の先駆者と言われるカンディンスキーが描いた作品がこれ。 |
No.12火のついた煙草をくわえた骸骨
| 商品番号 | 12 |
|---|---|
| 作品名 | 火のついた煙草をくわえた骸骨 |
| 原画情報 | 1885-86年 原画サイズ(32×24.5cm) |
| 作品紹介 | 後期印象派を代表する巨匠フィンセント・ファン・ゴッホ。この作品では、煙草を吸う骸骨をゴッホの特徴である黄色で描いている。 |
No.11ブレリオへ捧ぐ
| 商品番号 | 11 |
|---|---|
| 作品名 | ブレリオへ捧ぐ |
| 原画情報 | 1914年 原画サイズ(194×128cm) 所蔵:バーゼル美術館 |
| 作品紹介 | 1885年フランス生まれの抽象画家ロベール・ドローネ。抽象画の先駆者的存在の一人。この作品は1909年、英仏の間にあるドーヴァー海峡の横断飛行に成功した飛行家ブレリオへの賛歌をモチーフに描かれた作品である |
No.10Squares with Concentric Circles
| 商品番号 | 10 |
|---|---|
| 作品名 | Squares with Concentric Circles |
| 作品紹介 | モネの「積みわら」を見て抽象画の原点がここにあると悟り、画家の道に進むことを決意した。抽象画の先駆者と言われるカンディンスキーが描いた作品がこれ。 |
No.6同時的対照 太陽と月
| 商品番号 | 6 |
|---|---|
| 作品名 | 同時的対照 太陽と月 |
| 原画情報 | 1913年 所蔵:ニューヨーク近代美術館 |
| 作品紹介 | ロバート・ドローネは光を躍動的に描いたり、エッフェル塔や飛行機など近代的な要素を取り入れ描くことを得意とした。 |
No.3黒い正方形と赤い正方形
| 商品番号 | 3 |
|---|---|
| 作品名 | 黒い正方形と赤い正方形 |
| 原画情報 | 1915年 原画サイズ(71.4×44.4cm) 所蔵:ニューヨーク近代美術館 |
| 作品紹介 | 正方形や長方形などの幾何学模様を組み合わせて描くスプレマティズム(絶対主義)という純粋抽象の哲学を提唱した画家として有名。 |
No.2マチューシンの肖像
| 商品番号 | 2 |
|---|---|
| 作品名 | マチューシンの肖像 |
| 原画情報 | 1913年 原画サイズ(106.5×106.7cm) 所蔵:トレチャコフ美術館 |
| 作品紹介 | 正方形や長方形などの幾何学模様を組み合わせて描くスプレマティズム(絶対主義)という純粋抽象の哲学を提唱した画家として有名。 |
ヌード9件
No.9春のそよ風
| 商品番号 | 9 |
|---|---|
| 作品名 | 春のそよ風 |
| 原画情報 | 原寸サイズ:98.5cm×65.5 cm 1895年 |
| 作品紹介 | 心地よい春風を浴びている 自然の中の裸婦 の、恥かしげな表情が描かれている。 肌の質感の描き方は特筆すべき点であり、 色彩のやわらかな 表現においても、瞬間的な官能性から観る者も春のそよ風に吹かれるような 春の雰囲気が伝わってくる。 |
No.8泉
| 商品番号 | 8 |
|---|---|
| 作品名 | 泉 |
| 作品紹介 | 1982年に日本で始めて開かれた「アングル」展に出品され、ポスターやカタログの表紙にもなった有名な作品です。アングルの古典主義的・理想主義的な側面を最もよく示しています。アングルは若い頃に長い間ローマで修行し、ギリシャ彫刻やルネサンス絵画を勉強しました。この作品はアングルがフィレンツェに滞在していた1820年から24年頃に構想されたらしいが、その後何度か変更され、完成したのは1856年です。その時に弟子がある部分を手伝っています。 |
No.6ラ・グランド・オダリスク
| 商品番号 | 6 |
|---|---|
| 作品名 | ラ・グランド・オダリスク |
| 作品紹介 | ラファエロの画風を学んで、新古典主義の代表的画家となったアングルは、秀でた素描力を駆使して裸婦や肖像画にその本領を発揮します。この作品はローマ留学中に、ナポレオンの妹でナポリ王妃のカロリーヌから依頼されて制作したものです。しかしナポレオンの失脚で、王妃の手元に渡ることはありませんでした。東方の異国情緒あふれる画面に横たわる裸婦の姿は、現実的には不自然なところもあるが、アングルの美的観念が遺憾なく発揮されています。 |
No.3足を組む裸婦と帽子
| 商品番号 | 3 |
|---|---|
| 作品名 | 足を組む裸婦と帽子 |
| 原画情報 | 1904-1906年 92×73cm ノイエ・ガレリー(ウィーン) |
| 作品紹介 | 本作は1880年代後半以降、絵画制作で悩まされ続けることになった(1898年には右手の麻痺による二ヶ月以上、絵筆を握ることができなくなるまでに悪化したほか、その2年後には手や腕が変形してしまった)リューマチ性関節炎を患っていた画家が、その痛みに耐え、精力的に制作し続けた裸婦作品の中の一点である。 |
和風10件
No.18墨水桜花輝耀の景
| 商品番号 | 18 |
|---|---|
| 作品名 | 墨水桜花輝耀の景 |
| 原画情報 | 1874年 縦61.0cm×横80.0cm |
| 作品紹介 | 高橋由一は、文政11年(1828年)下野国佐野藩士の子として江戸藩邸に生まれました。1862年に洋書調所の画学局に入局し、川上冬崖の下で洋画と洋学を勉強しました。慶応2年(1866年)、当時横浜に住んでいたイギリス人ワーグマンから油彩を学んでいます。明治6年(1873年)には画塾・天絵楼を創設し、多くの弟子を育てました。また、明治9年に工部美術学校教師として来日したイタリア人画家アントニオ・フォンタネージの画室をしばしば訪れて油彩技法を教わったと言われています。明治22年(1889年)には浅井忠らと明治美術会を結成して洋画の振興に努めましたが、明治27年(1894年)に67歳で没しています。謹厳で写実的な画風が特徴で、近代日本最初の洋画家として知られ、代表作に「鮭」(1877年頃、東京芸術大学蔵、重要文化財)、「花魁」(1872年、東京芸術大学蔵、重要文化財)、などがあります。 満開の桜と芽吹き始めた葉が前景に力強く明確に描かれる一方、背景の墨水(隅田川)は遠くぼんやりした調子で描かれています。前景と遠景が強く対照される画面配置は、江戸時代の洋風画や浮世絵にも通じる構図です。府中市美術館では、日本と西洋の交流に着目しながら、近代洋画を中心とした系統的な作品収集に努めていますが、本作品は、本格的な西洋画の洗礼を受ける以前の日本的構図の油絵の貴重な作品であり、府中市美術館のコレクションの核として、重要な役割を果たす作品であると考えております。 関連記事: 府中市は3日、市美術館の収蔵品として、日本の油絵の先駆者、高橋由一(ゆいち)=1828(文政11)~94(明治27)年=の「墨水桜花輝耀(ぼくすいおうかきよう)の景(けい)」(1874年作)を約1億円で購入することを決めた。7日始まる市議会に購入契約締結案を提出する。同市は「開館10周年記念として、近代洋画を代表する高橋由一の作品をコレクションに加えることができた」としている。 高橋由一は下野国佐野藩士の家に生まれ、狩野派に学んでいたが油絵に目覚め、「花魁(おいらん)図」など日本洋画の記念碑的作品を発表している。 |
No.16収穫
| 商品番号 | 16 |
|---|---|
| 作品名 | 収穫 |
| 原画情報 | 1890年 原画サイズ(98.5×69.8cm) 所蔵:東京芸術大学美術館 |
| 作品紹介 | パリの南東に位置するバルビゾン村の風景や農村を描いたバルビゾン派の画家たち。その代表的な画家であるミレーが、名作『落ち穂拾い』を描いたのは1857年のこと。それからほぼ20年後の1876年、武家に生まれた男がその作品を目にします。その作品は激動の時代をくぐり抜けた男に大きな感動を与え、日本の洋画の世界に夜明けをもたらしました。 日本のミレーと言われた男が1890年に描いた作品、浅井忠・作『収穫』。 描かれているのは絶景と呼ばれるものではなく、どこにでもあるような普通の田舎の風景。豊かな実りを前に、一家総出で仕事をしています。母はわらを束ね、娘は米をふるい分け、父は脱穀する。土の匂いまで伝わってきそうな迫真性は、油絵だからこそ表現できた重厚な時間と空間。この絵が描かれた当時、日本の洋画界にはようやく日が当たり始めた頃でした。 |
No.17春畝
| 商品番号 | 17 |
|---|---|
| 作品名 | 春畝 |
| 原画情報 | 84.0×102.5 明治21年(1888) 東京国立博物館 |
| 作品紹介 | 本作は明治二十一年に描かれ、翌年の第一回明治美術会に出品された作品で、画面上下を明暗の色調によって対比させ、繊【こま】やかな調子で農村の日常生活を情趣深く表現した傑作である。既指定に「収穫」(第二回明治美術会出品)がある。 |
















































































































































