原画情報: |
|
作者紹介: |
「モネ」という名前は短いようですが、本名はクロード=オスカール・モネとといいます。1840年にパリで生まれ、幼い頃にセーヌ河口の近くの町に引っ越します。裕福な家庭で育ったモネは、10代の早くから絵の才能を見せはじめます。 15歳の頃には、町中で評判になり絵画が売れるほどになっていました。そんなモネに風景画を描くようにすすめたのが、風景画家だったブーダンです。ブーダンと一緒に外で絵を描くようになったのです。 その1年後、モネはパリに移住して絵画を本格的に学び始めます。パリには芸術家たちが集まっていて、モネもここでルノワールやドガ、セザンヌたちと出会ったのです。そして、彼らは自分たちで新しい絵画をつくろうと展覧会を1874年に開くのです。しかし、モネをはじめとした彼らの絵画は、世間には受け入れてもらえませんでした。これまでの絵画は、重くるしい色に題材がしっかりはっきりと描かれているものでした。モネたちの絵画は明るくあざやかな色を中心として、見たままの景色を描いていたからです。この展覧会を見た評論家たちは、モネが展覧会に出品していた作品『印象・日の出』から彼らを印象主義者だといったのです。これが印象派と呼ばれるきっかけになったのです。 モネも他の印象派の画家たちも世間に認められるようになるまで、長い時間がかかりました。今でこそ、巨匠と呼ばれるモネでも、世間に認められて絵画が売れるようになったのは40歳以降だったのです。 生活が安定するようになったモネは43歳でジヴェルニーという村に移住します。風景画を描き続けていたモネは、花をとても愛していたのでとても広い土地に花や木を植えた美しい庭をつくりました。 それ以降のモネの作品の多くは、この庭の絵が中心です。有名な「睡蓮」もモネの庭の睡蓮が題材になっているのです。 印象派の中でも長生きだったモネは1926年86歳まで生きました。 |
作品紹介: |
印象派最大の巨匠のひとりクロード・モネが晩年期に手がけた最も有名な連作『睡蓮』。第一次大戦(1914-1918年)中に描かれた本作は、画家が1683年から借家で住み始め、1690年には買い取ったジュヴェルニーの自宅兼アトリエに造園した名高い庭園の池に浮かぶ睡蓮を連作的に描いた作品であるが、画家らしい移ろう水面やそこに反射する陽光の表現、色鮮やかな睡蓮や揺らめく水草の印象的な描写は、正にモネの『睡蓮』の名に相応しい素晴らしい出来栄えである。本作はモネと親交のあった松方幸次郎が、1916年から1923年にかけて日本の若い画家のために本物の西洋絵画を求め収集されたコレクション(松方コレクションと呼ばれる)の中の一枚で、1899年からモネは庭園の他のモティーフと共に『睡蓮』の連作を描き始めたことが知られているが、1910年代初頭には『睡蓮』のみの描写・表現に没頭していく。その中でも本作の水面に揺蕩う睡蓮の色彩、特に睡蓮の蕾に用いられた鮮やかな赤色や黄色や、強く筆跡が残された淡紅色や真紅などの暖色は、池の深淵な蒼色と互いに引き立て合い、美しさや刻々と変化する水面の動きや時間だけでなく、観る者に神秘的な印象すら与える。 |
|