原画情報: |
98,5×117,5cm 1659-1660年 マウリッツハイス美術館 |
作者紹介: |
ヨハネス・フェルメール(Johannes Vermeer, 1632年10月31日 - 1675年12月15日)は、17世紀にオランダで活躍した画家。レンブラントと並び17世紀のオランダ美術を代表する画家とされる。生涯のほとんどを故郷デルフトですごした。
最も初期の作品の一つ『マリアとマルタの家のキリスト』(1654-1655頃)に見られるように、彼は初め物語画家として出発したが、やがて1656年の年記のある『取り持ち女』の頃から風俗画家へと転向していく。静謐で写実的な迫真性のある画面は、綿密な空間構成と巧みな光と質感の表現に支えられている。
現存する作品点数は、研究者によって異同はあるものの33~36点と少ない。このほか記録にのみ残っている作品が少なくとも10点はあるが、記録に残っていない作品を勘案しても22年の画歴に比してやはり寡作というべきだろう。
「忘れられた画家」と再発見
聖ルカ組合の理事に選出されていたことからも明らかなように、生前は画家として高い評価を得ていたらしい。しかしながら、死後フェルメールの名は急速に忘れられてしまう。この理由は明らかにされていない。
1866年にフランス人研究家トレ・ビュルガーが著した論文が、フェルメールに関する初の本格的なモノグラフである。当時フェルメールに関する文献資料は少なく、トレ・ビュルガーは自らをフェルメールの「発見者」として位置付けた。しかし、実際にはフェルメールの評価は生前から高く、決して「忘れられた画家」だったわけではない。トレは研究者であっただけでなくコレクターで画商であったため、フェルメール「再発見」のシナリオによって利益を得ようとしたのではないかという研究者もいる。
その後、マルセル・プルーストやポール・クローデルといった文学者などから高い評価を得たこともあり、再び脚光を浴びることとなる。
フェルメールのモチーフはこれまで検討されていないが、当時出島からオランダにもたらされ、評判を呼んだ日本の着物と見える衣裳の人物像が5点ほど見える。オランダ絵画の黄金時代を花開かせた商人の経済力には、当時、世界的に注目を受けていた石見銀山で産出した銀が、出島からオランダにもたらされ莫大な利益を生んでいたことも関係している。
贋作事件
トレ・ビュルガーがフェルメールの作品として認定した絵画は70点以上にのぼる。これらの作品の多くは、その後の研究によって別人の作であることが明らかになり、次々と作品リストから取り除かれていった。20世紀に入ると、このような動きと逆行するようにフェルメールの贋作が現れてくる。中でも最大のスキャンダルといわれるのがハン・ファン・メーヘレンによる一連の贋作事件である。
この事件は1945年ナチス・ドイツの国家元帥ヘルマン・ゲーリングの妻の居城からフェルメールの贋作『キリストと悔恨の女』が押収されたことに端を発する。売却経路の追及によって、メーヘレンが逮捕された。オランダの至宝を敵国に売り渡した売国奴としてである。ところが、メーヘレンはこの作品は自らが描いた贋作であると告白したのである。さらに多数のフェルメールの贋作を世に送り出しており、その中には『エマオのキリスト』も含まれているというのである。『エマオのキリスト』は1938年にロッテルダムのボイマンス美術館が購入したものであり、購入額の54万ギルダーはオランダ絵画としては過去最高額であった。当初メーヘレンの告白が受け入れられなかったため、彼は法廷で衆人環視の中、贋作を作ってみせたという。『エマオのキリスト』は、現在でもボイマンス美術館の一画に展示されている。
フェルメールとダリ
シュルレアリストとして有名な画家サルバドール・ダリは、フェルメールを絶賛しており、自ら『テーブルとして使われるフェルメールの亡霊』(1934年,ダリ美術館)、『フェルメールの「レースを編む女」に関する偏執狂的=批判的習作』(1955年,グッゲンハイム美術館)など、フェルメールをモチーフにした作品を描いている。
ダリは著書の中で、歴史的芸術家達を技術、構成など項目別に採点しており、ダヴィンチやピカソなど名だたる天才の中でもフェルメールに最高点をつけている。ちなみに独創性において1点減点する以外はすべて満点をつけた。
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作品紹介: |
本作はロッテルダムとデン・ハーグとの中間に位置するオランダ南ホラント州の都市で、画家が生まれ生涯を過ごした≪デルフト≫の朝七時頃(作品内の時計塔は同時刻を指している)の街並みを描いた風景画であるが、街の前景に影を、後景に光を当てる光彩描写や、理想的な美しさを求め現実の街の姿を変革し描いた表現は、同時代に制作された風景画の中でも特筆に値する出来栄えを示している。画面中央の石橋の左右に配されるスヒーダム門(時計塔)、ロッテルダム門は本来この視点からだと平行に見えるはずであるが、構図的により調和性を求めたフェルメールは、右側のロッテルダム門を外側を向くように再構成している。また17世紀当時デルフトの象徴であり同地の英雄オラニエ公ウィリアムが埋葬された新教会は、朝日に照らされ画面内で最も輝きを放っている。本作は描かれた16世紀当時から評価が高く、1696年におこなわれた画家作品の競売では最高価格200ギルダーで、1822年にマウリッツハイス美術館が購入した際には2900ギルダーの値がつけられたことが資料に残されている。なおマウリッツハイス美術館で本作を観覧した20世紀フランス文学を代表する作家マルセル・プルーストは、後に「あの絵画を見て、私は世界で最も美しい絵画を見たのだと悟った」と語り、自身の傑作『失われた時を求めて』に重要なモチーフとして登場させている。 |
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